【問】主イエスはマタイ16章24節で御自分に従うことを望む者に、「自分を捨てる」ようにと要請されました。
【答】25節以下で主は私利私欲だけをひたすら追求する生き方のむなしさと、自分自身を二の次にする生き方こそ実は「永遠の命」(天国の福楽)に到達する道であることを仰せになりました。
(注)別エントリー「試論:『自分の十字架』とペトロを140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ9章23節で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と仰せになった。コロサイ3章9節以下は「古い人をその行いとともに脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々、新たにされる」よう勧め、捨てるべき事柄を5節以下で説く。
(注)別エントリー「試論:『十字架が象徴するもの』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:キリスト教の日々の十字架を140文字以内で」も参照のこと。
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エフェソ4章の後半では「神にかたどって造られた新しい人」として生きるためとして「怒ることはあっても罪を犯してはならない」「日が暮れるまで怒ったままではいけない」「悪い言葉を一切口にしない」「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどの全てを、一切の悪意とともに捨てる」等を勧めている。
一ペトロ2章の冒頭は「霊的な乳飲み子」について語っているが、ここでペトロは「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去る」ことを要請しており、当然ペトロは、あまりにも有名な「人から出て来るものこそ、人を汚す」で始まる、マルコ7章20節から23節の主の御言葉を念頭に置いて説明する。
主はマタイ18章で、「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」(3節)また「自分を低くして子供のようになる人が天の国では一番偉い」(4節)と仰せになられ、「心を入れ替える」「自分を低くする」の二つが子供のようになるために必要な事柄であると説かれた。
マタイ22章「礼服」に関連して、パウロはコロサイ3章で、キリストに結ばれていたいと望む人々が「着る」つまり身に着けるべき事柄に関してとりわけ10節以下で論じ、5節から9節では脱ぎ捨てるべきものも説く。身に着けるべきは憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、そして愛だとパウロは説いた。
(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】主イエスは御自分に従う人に「自分を捨てる」ことを要請されました。養父ヨセフは「自分を捨てる」ことができましたか?
【答】彼は婚約者が救い主の母となったと知った時、「あなたと婚約したのは故郷で静かな生活を送るためで、神の子の養父になるためではない」と突き放したりしませんでした。
マタイ福音書は後世への教訓に、最初の二つの章で主の養父ヨセフを模範として掲載した。ヨセフは忍耐強く、情け深く、自慢せず、高ぶらず、礼を失わず、自分の利益を求めず、恨みを抱かず、苛立たず、不義を喜ばず、真理を喜んだ。イエスとマリアのために、全てのことを忍び、確信し、待望し、耐えた。
主イエスはマタイ7章22節以下で、神が人々に求めておられるのは預言でも悪霊を追い出すことでも奇跡でもなく、ただ悪を行わないことだと示唆された。ヨセフは1章19節で義人と呼ばれるが、25章の最後の審判では義人は隣人の困り事に親身に対応する無私の人そして永遠の命を確約された人を指す。
(注)別エントリー「『永遠の命』と『新しい掟』」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節では「正しい人」を意味するディカイオスというギリシア語で表現されるが、25章46節にも同じギリシア語が登場し「正しい人は永遠の命にあずかる」と書かれており、25章35節から36節には「正しい人」の行動の具体的な例がいくつか実際に紹介されている。