ルカ11章28節のギリシア語本文を読むと主は前節の「ある女性」の発言を否定しておらず逆に強く同意している。主は「もちろんそうだがさらに(母に関して)言えば、神の言葉を聞いてそれを守る人は幸いだ」とは仰せになったが、母は神の言葉を聞かないとか守らないなどとは一言も口にされていない。
(注)別エントリー「試論:ヨセフが妻を畏敬する理由を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7888
【追記】
御自分の母を称える女性の言葉に対し主はルカ11章で神の言葉を守る人こそ幸いと答えられた。ヨハネ14章で主は「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る」と仰せになられたが、マリアが母として主を誰よりも愛しておられたことには疑う余地がなく、マリアが神の言葉を守らないことも当然ありえない。
(注)別エントリー「試論:主イエスへの愛を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5453
(注)別エントリー「試論:『新しい契約』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5517
【問】カトリックでは創世記3章15節および黙示録12章の「女」をマリアと解釈し、サタンと決定的に対立する存在だと教えますが、その対立点はどこですか?
【答】マリアは人々へ神の言葉には全て従うよう勧めますが(ヨハネ2章5節)、サタンはエバへ神に従わぬ(創世記3章4節)よう唆しました。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851
(注)別エントリー「試論:『女』とサタンの対立を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10314
(注)別エントリー「『鉄の杖』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16717
(注)別エントリー「試論:『女』と『竜』の対立を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12925
マタイ23章11節「あなたたちの中で最も偉い者は、仕える者であり続けなさい」ルカ1章38節「わたしは主のはしためです」ローマ5章17節「神の恵みと義の賜物を豊かに受けている人は唯一の主であるイエス・キリストを通して永遠の命を得て、サタンの罪と死による支配から自由になり王となる」。
(注)別エントリー「試論:『しもべ』と『はしため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9785
創世記3章15節で神は、サタンと決定的に対立する一人の女性が将来現れることを予告された。黙示録12章では、それは救い主の母となった女性のことだと啓示された。救い主は人々を罪や悪から救うために生まれるので、その母が存在の最初の瞬間から罪や悪とは完全に無縁であるべきなのは当然である。
(注)別エントリー「神のお告げ:受胎告知と無原罪の御宿り」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4835
(注)別エントリー「創世記3章15節:蛇の頭を踏み砕く者は誰か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1488
「救い主」が世を救われる方法に関しイザヤは、「小羊」(53章7節)つまり代価として御自分をささげ、「しもべ」(42章、49章以下等)として人々に仕えると預言し、主もマルコ10章45節でそれを宣言された。救い主の母となることを承諾した女性が「主のはしため」を称するのは象徴的である。
黙示録5章10節は、「小羊」主イエスに忠実な弟子たちが王となり地上を統治すると啓示する。その理由の一つは彼らが「最も偉い者は皆に仕える者」(マタイ23章11節)という主の仰せに忠実だからであり、一つはローマ5章12節以下の通り、サタンの罪と死による支配に打ち勝った者だからである。
【問】カトリックは聖母を「女王」扱いしますが福音書のマリアは控え目な女性ではないでしょうか?
【答】黙示録5章10節は、小羊に忠実な人々が王になると啓示します。「皆に仕える者こそ最も偉い者」の御教えに忠実でサタンの罪と死による支配に打ち勝った者だからで聖母は全信者の先駆的存在です。
(注)別エントリー「試論:『神の小羊』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7514
(注)別エントリー「試論:世の罪を取り除く神の小羊を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6140
【問】「カトリックはマリアを女神扱いする」という難癖があります。
【答】逆です。人となられた神の御独り子の母でありながら「主のはしため」を自称し続けた、《へりくだり》の模範として崇敬しています。マリアは、神のようになる(創世記3章5節)ことを望み欺かれたエバの轍を踏みませんでした。