主の御降誕と古代イスラエルにおける洞穴

(以下、聖書の日本語訳はフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』によります)

聖書とりわけ旧約聖書を読んでいて気づくことは、聖書の中に「洞穴」「洞窟」が登場する回数が少なくないことである。
実際、イスラエルやパレスチナは「洞穴」「洞窟」のたぐいが多いことで知られる風土である。

そこで、聖書時代のイスラエルにおける「洞穴」「洞窟」のたぐいがどのような用途で用いられていたのかについて、簡単に整理してみる。

〔A〕「墓」としての用途

(例)創世記19章30節、同23章9節以下、同25章9節、同49章32節、同50章13節、ヨハネ福音書11章38節

創世記においては、サラやアブラハムやヤコブの墓として洞穴が用いられていることが、記されている。
また、ヨハネ福音書11章にも、洞穴がラザロの墓として用いられていたことが書かれている。
主イエス・キリストが葬られていた「墓」も、岩場に横穴が掘られて洞穴状になった形態のものであったと考えられ、墓の入り口には大きな石(岩、岩石)が転がされて封じられた(マタイ福音書27章60節、マルコ福音書15章46節)。

〔B〕「避難場所(シェルター)」としての用途

(例)士師記6章2節、イザヤ2章19節以下、エゼキエル33章27節、黙示録6章15節

ヨシュア書10章には、王たちが隠れるために用いていたことが記されている。
士師記6章にも「避難場所(シェルター)」としての役割で書かれている。
イザヤ書2章では、「ユダ(ユダヤ)」やエルサレムが滅亡の時を迎える際、人々がまさに「避難場所」として洞穴に入る光景が預言されている。
黙示録6章15節においても、イザヤ2章と非常に強く関連していると感じられる啓示が記されている。
ヘブライ11章38節にも、信仰を守るために世間から迫害を受けた人々がさまよった場所の一つとして、洞穴が登場する。

〔C〕「動物(野獣・猛獣)のすみか」としての役割

(例)ダニエル6章8節以下、同14章31節以下、ナホム2章12節以下

ダニエル書6章や「ベルと竜」のエピソード、そしてナホム書2章でも、「獣のすみか」として「洞穴」「洞窟」が登場する。

〔D〕「貴重な品々の保管場所、貯蔵庫」としての用途

(例)二マカバイ2章5節以下

マカバイ記二2章では、預言者エレミヤが貴重な品々(幕屋と聖櫃と香壇)を人目に着かない場所に隠す場面で、洞穴が登場する。

〔E〕「おたずねものの隠れ家(アジト)」としての役割

(例)ヨシュア10章16節以下、サムエル上22章1節以下、同24章4節以下、歴代誌上11章15節

これは〔B〕「避難場所(シェルター)」としての用途ともいくぶん重なるが、ヨシュア書10章には、イスラエル人たちに敵対していた王たちが隠れるために用いていたことが記されている。
サムエル上22節には、サウル王に命を狙われていたダビデが「アドラムの洞窟」に「難を逃れ」ていたと書かれているが、歴代誌上11章15節によれば、この「アドラムの洞窟」は「岩山」に存在した。

同じサムエル上24章4節では、サウル王に追われていた若者ダビデと仲間たちとが洞穴に隠れている場面がある。

〔F〕野外で「『用を足す』場所(トイレ替わり)」としての役割

(例)サムエル上24章4節以下

その同じサムエル上24章4節では洞穴にダビデや仲間たちが潜んでいるとも知らずに、用を足すためにサウル王がその洞穴に入っていく。

〔G〕「悪人たちの巣窟(たまり場)」としての役割

(例)エレミヤ7章11節、マタイ福音書21章13節、マルコ福音書11章17節、ルカ福音書19章46節

かつて預言者エレミヤは第一神殿にの滅亡を預言する際に「盗賊の巣」という表現を用い、そして主イエス・キリストも第二神殿の滅亡を予告される際に「強盗の巣」という表現を用いられたが、これらの用例において、「巣」と日本語訳された原文の箇所は、原語では「洞穴」「洞窟」と同じものである。つまり「洞穴」には「悪人たちのたまり場」といった用途も存在したわけである。

〔H〕「地下トンネル」「秘密の抜け穴」としての役割

(例)サムエル下5章8節

ダビデ王がエブス人たちからエルサレムを奪取する際には(サムエル記下5章)、ダビデ王の兵士たちは地下トンネルを通ってエルサレム市内に侵入し、町を占領することに成功した。
その地下トンネルは、もともと、エルサレム城外(城壁の外)の泉から市内に水を引くために存在していたものであった。

時代を下るにつれ、自然に形成されていた「洞穴」「洞窟」には人間の手が加えられてさらに拡張され、ローマ帝国に対するユダヤ大反乱の時代には、エルサレムには地下通路網が張り巡らされてエルサレム城外との秘密の往来のために最大限に活用された。

紀元七〇年のエルサレム陥落の際は、大反乱を指導していた軍事指導者たちはいっせいに地下通路に潜伏して脱出を図ったが、その多くは逃げ切れずに結局はローマ帝国に投降した。
ただ一人の指導者だけは脱出に成功して死海西岸近くの要害マサダに辿り着き、そこで最後の抵抗戦を試みるが、三年後にはマサダも陥落し、大反乱は終焉を迎えたのであった。

現代の考古学者たちは、古代のエルサレムの存在した地下通路網(地下トンネル)についても発掘調査を行ない、そこに少なからぬ人骨と生活の痕跡そしてローマ軍の武具の痕跡を発見している。
少なくともローマ軍がエルサレムを包囲していた數か月間、地上の居住空間に収容し切れなかった避難民たちは文字通りの「避難場所(シェルター)」として地下トンネル内で生活し、エルサレム滅亡後に地下通路網を捜索していたローマ兵によって殺害されたと推測される。

前述したようにエルサレム滅亡の際、エルサレムを支配していた武装勢力の指導者たちはいっせいに地下通路に潜伏し、追跡するローマ兵が地下通路網で徹底的に捜索活動を行なったため、無関係の多くの民間人が暗がりの中で不幸にも命を落とすこととなったと考えられる。

21世紀の現代においても、反イスラエルの武装組織が秘密裡にイスラエル領内に侵入する際には地下トンネルが用いられ、またイスラエル領内において秘密裏に移動したり武器を運搬したりする際に用いられているとされる。

〔I〕野宿の際の「簡易宿泊所」「宿屋替わり」としての役割

(例)列王記上19章9節以下、エレミヤ48章28節(、ルカ福音書2章7節以下)

列王記下19章で預言者エリヤがホレブ山に向かった際に用いたことが記録されている。

恐らく、ルカ福音書2章の「人口調査」の記事において、ベツレヘムの町で宿屋を見つけることができなかったマリアとヨセフもまた、主イエス・キリストの御降誕の際には、やむなくベツレヘムの周辺の洞穴で夜を過ごしたものと推測される。

紀元七〇年の第二神殿滅亡以前は、毎年の過越祭や五旬祭などの際にエルサレムへ上(のぼ)ってきた、普段は世界各地で生活していた「離散」のユダヤ人(イスラエル人)たちの大部分もまた、恐らく上京した際にはエルサレム近郊の洞穴で夜を過ごして宿泊していたものと推測される。

現代の考古学者たちは、遺跡の発掘調査の結果に基づいて、一世紀当時のエルサレムという都市が収容可能であったと推計できる人口を数字としてそれぞれ列挙しているが、エルサレム近郊に存在する数多くの「洞穴」「洞窟」を最大限に活用しない限り、現代人が考えるような「宿屋」(またはエルサレム市内に住んでいる親類縁者の家に寄留)だけでは、世界各地からエルサレムに集まる莫大な人数をさばき切ることは、到底不可能だったであろう。

〔J〕「家畜小屋(牛小屋など)」としての役割

主イエス・キリストがお生まれになった場所が一般に「家畜小屋」として認識されている理由は、いうまでもなくルカ福音書2章に「飼い葉桶(おけ)」を意味している聖書ギリシア語が登場するからである(7節、12節、16節)。

ただし、この「飼い葉桶」を意味するギリシア語は、古代のギリシア語訳旧約聖書である七十人訳聖書では「家畜小屋(牛小屋など)」を意味している場合もある(ハバクク3章17節)。

ちなみに同じギリシア語は、七十人訳聖書のヨエル1章17節では食物の倉庫を意味している。

【結論】

以上の考察において、聖書時代のイスラエルにおける「洞穴」の多様な役割を確認するとともに、主イエス・キリストの御降誕の場所は「牛などの家畜小屋として用いられていた洞穴」であった、というカトリック教会の聖伝を確認することが可能である。

注)別エントリー「マリアがベツレヘムの宿屋で拒まれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/56