主イエスはマタイ22章で、古代のイスラエルがモーセの律法の中で最も重要な掟は二つと考えていたことを踏まえる議論をされた(36節以下)。主御自身は「山上の説教」で「他の人からしてもらいたいことならなんでもあなたから他の人にしなさい」が御自分の「律法」(同7章12節)だと定義された。
(注)別エントリー「《キリストの律法》(マタイ7章12節)」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18013
【追記】
【問】マタイ7章12節には隣人愛はあっても、神への愛はありません。
【答】ヨハネ13章35節「あなたたちが互いを尊重し敬意を払い合うならば、そのことをもって皆は、あなたたちがわたしの弟子であると認める」。マタイ25章「最後の審判」では、隣人愛の実行が神への愛の実行だと評価されます。
【問】「キリストの律法」とは何ですか?
【答】マタイ7章12節「あなたが他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他の人にしなさい。これこそ律法〔であり預言者の教え〕」のことで御教えの基礎となる事柄であり、これが欠乏すると、人々は互いに隣人を侮り始め、世情は殺伐とします。
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199