【問】ローマ5章12節以下はアダムとキリストを比較しますが、エデンの園で蛇にだまされたのはエバなのにアダムの責任として記されています。
【答】主なる神は創世記2章で、アダムをあらゆる存在の名付け親とされましたが、これは同時に彼にエデンで起こる全てについての監督責任を課すものでした。
【追記】
【問】神がアダムにエバの監督責任を課したとなぜ分かりますか。
【答】禁断の果実を食べたアダムとエバが神から身を隠した時、神はまずアダムだけ呼ばれました(創世記3章9節)。エバの創造の経緯を「男尊女卑的」と評する向きもありますが、神はエバの不始末の責任を、アダムに対して問われました。
創世記2章23節は「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と記す。ヘブライ人は人間を「肉」(同6章)と呼び、また「骨」(箴言14章30節、エゼキエル37章)とも呼ぶが、「骨」と呼ぶ時は「骨の髄まで」の意味合いがあり、アダムはエバの姿を見て「この者は何から何まで自分と一緒だ!」と喜んだ。
創世記2章22節はエバの創造を記す際、祭壇や都市を築き上げた時と同じヘブライ語を用いて、エバは細心の注意を払いつつ達成された主なる神の《苦心の作》でありエバの創造に「手抜かり」はないと示唆し、「女は男より劣るように創造されたからエバは蛇にだまされた」等の男尊女卑の発想を否定する。
【問】なぜ受胎告知の際にマリアは、承諾の返答よりも先に「わたしは主のはしため」と再確認しましたか?
【答】マリアはそう前置きすることで、「わたしは神の御独り子の母となることを承諾しますが、決して『神のようになること』(創世記3章5節)を望むからではありません」と意思表示をしました。
【問】マリアは「わたしの主のお母さま」(ルカ1章43節)と呼ばれる女性なのに、なぜ「主のはしため」と謙遜したのですか?
【答】もしも彼女が「自分は救い主の母だから息子と同じ扱いを受けたい」と思い上がったなら、神のようになりたいと思ってサタンにだまされた、エバの二の舞になるからです。
マタイ23章11節「あなたたちの中で最も偉い者は、仕える者であり続けなさい」ルカ1章38節「わたしは主のはしためです」ローマ5章17節「神の恵みと義の賜物を豊かに受けている人は唯一の主であるイエス・キリストを通して永遠の命を得て、サタンの罪と死による支配から自由になり王となる」。
ヘブライ2章13節以下は、御父が御自分に委ねられた者たちが人間である以上、御子も神のままで神であられながら人間の肉体と魂を担われたが、それは悪魔の罪と死の支配から人々を解放するためと記す。マリアの賛歌は神が人間の肉体と魂を担われた事実を「偉大なこと」(ルカ1章49節)と表現した。
(注)別エントリー「『偉大なこと』(ルカ1章49節)???」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/27791