試論:マグダラのマリアを140文字以内で

マルコ16章9節はマグダラのマリアを「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」と呼ぶ。箴言6章16節は「主の憎まれるものが六つ、主の心からいとわれるものが七つ」として17節以下で七つの悪徳について列挙する。「七つの悪霊」とは、マリアが克服した七つの悪徳を指すと思われる。

(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
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【追記】

マルコは、ベタニアで主の頭に高価な香油を注ぐ女性を記す。ヨハネも、ベタニアでラザロの姉妹マリアが主の足に高価な香油を塗ったと記す。主は彼女の行動を埋葬の準備と呼んだ。マルコ16章冒頭で主の御遺体に油を塗りに行く婦人たちの中に彼女もいたはずで、マグダラのマリアである蓋然性が大きい。

御復活の朝、主を目の前にしてマグダラのマリアは、まず十人の使徒たちやトマスのように、手の釘の痕や脇腹の槍の痕を確認しようとしたはずである。主の「わたしに触れてはならない」は、「手や脇腹を見なくとも、あなたは少しの疑いの余地もなくわたしを認識できているでしょう?」の裏返しでもある。

主はヨハネ20章17節でマグダラのマリアに「触れてはならない」と仰せになった。この時、主が指先で、彼女の額に触れて制止された、という伝承がある。マルコ3章9節以下には、主に触れようとする群衆のあまりの勢いに小舟が用意される話があるが、彼女の勢いもまたそれに近かったのかも知れない。

一世紀にはギリシア語でタリケアと呼ばれていたガリラヤ湖畔の町をユダヤ人はヘブライ語でミグダル、アラム語でマグダラと呼んだと想定され、魚を保存用に加工する燻製工場で知られた。風紀の乱れた町としても悪名高く、歓楽地としての町全体または一部の歓楽街を呼ぶ際マグダラが悪名的に用いられた。

ヨハネ1章の通り御子である主イエスは「言(ことば)」つまり御自分で御言葉をお話しになる神として、この世に来られ、「仕えられるため」ではなかった(マタイ20章28節)。故に直に主イエスに対する場合に限り「仕える」を選んだマルタより「御言葉に耳を傾ける」を選んだマリアが良しとされた。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851

(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7250

(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7823

ルカ10章41節「あなたは多くのことに」の「多くの」に当たるギリシア語は、同福音書の他の箇所では「おびただしい」とも訳され、数や程度のはなはだしさを意味し、大所帯を切盛りできる配慮や才覚がマルタにあったことを示唆している半面、当日のもてなしが「盛り沢山」過ぎた蓋然性をも暗示する。

主イエス・キリストが「神の御言葉」(ヨハネ1章1節)であられる以上、最も喜びとされることは、御自分の仰せになる御言葉に人々が耳を傾けて聞き従うことである。それゆえ主はマルタからマリアを擁護された(ルカ10章41節以下)。ホセア6章6節「わたしが喜ぶのは神を知ることであって、〜」。

主はマタイ福音書で「わたしが求めるのはあわれみであって犠牲(いけにえ)ではない」(ホセア6章6節)と繰り返されが、同節は「神を知ることであって焼き尽くす献(ささ)げ物ではない」と続く。「神を知る」を一ヨハネ2章3節は「神の掟(愛の掟。ヨハネ15章12節等)を守る」ことと説明する。

主はマタイ福音書で「わたしが求めるのは憐れみであり犠牲(いけにえ)ではない」と繰り返され5章7節では憐れみ深い人は神の憐れみを受けると説かれた。6章14節以下では、他人を赦す人を神もお赦しになられるが、他人を赦そうとしない人を神もお赦しにならないと教えられた(18章21節以下)。

(注)別エントリー「試論:マタイ5章7節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『善きサマリア人』の教訓を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6827

(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
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