主イエスがマルコ3章35節で「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟・姉妹・母」と仰せになられたのは有名である。この仰せは疑う余地なく、マタイ7章21節「わたしに向かって『主よ、主よ』と呼ぶ者の全てが、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入る」と関係している。
【追記】
マタイ7章21節「わたしの天の父の御心」とは何かを考察すると、同3章17節「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と御子イエスが呼ばれる以上、御子が最重要と位置付ける事柄こそ御父の御心である。同7章12節「他の人からしてもらいたいことなら全て、あなたから他の人にしなさい」。
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541
【問】主イエスのマタイ7章12節の仰せをパウロが「キリストの律法」と呼んだのは、なぜですか?
【答】なにより主イエス御自身が「律法(ノモス)」と表現され、最後の審判の際に基準とされる「法(ノモス)」(一ヨハネ3章4節)であり信仰とは何かについて迷った時に立ち戻るべき基準だからです。