試論:マタイ4章の漁師たちを140文字以内で

使徒言行録4章13節「議員たちや他の人々はペトロとヨハネの大胆な態度を目の当たりにして、この二人は学があるわけでもない普通の人たちのはずなのにと驚いた」ルカ21章15節「どんな反対者でも対抗も反論もできような言葉と知恵を、その時はわたし(=主イエス)があなたたちに授けるだろう」。

【追記】

もしもイエスが起こした「活動」に少しでも政治的な意図が含まれていたのなら、イエスの十字架の周囲には必ず、使徒たちの十字架もあったはずである。そうではなかったのは、政治的な意図がイエスには微塵もなかった証拠であるし、また同じ理由で、イエスの敵たちの眼中には使徒たちの存在はなかった。

多くの人が黙示録20章の記述を誤解し、キリストと共に世を支配する「千年王国」を夢見たが、他方ヨハネ18章36節で主は御自分の王国(バシレイア)は世に属さないと確言された。「王」(マタイ25章34節)であるキリストと共に支配するとは、悪魔の罪と死による支配から自由になることである。

(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5427

(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5433

(注)別エントリー「真理は罪と悪と死から自由にする」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9524

黙示録20章やローマ5章は「悪に悪を返さない」ことを徹底して罪や悪と決別した人々を「バシレウオ(〔キリストとともに〕王となる)」という動詞で表すが、これはあくまで《義化の完成》を象徴する表現であり政治体制的な意味を含まず、彼らは「第二の死」を免れ「永遠の命」を得ると記されている。

(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3297

(注)別エントリー「試論:『第二の死』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ18章36節で、「わたしのバシレイアは、この世には属していない」と仰せになった。原文のギリシア語バシレイアは、聖書では「王権」「〔神の〕王国」を意味し、「王国の一人一人」まで包含する。黙示録1章6節でヨハネは、自分たちは既にその一部を構成していると書き記している。

(注)別エントリー「試論:バシレイア(=神の王国)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12654