主はヨハネ4章で御自分を「生きた水」の源にたとえられ、これはエレミヤ17章13節の預言と符合し同章では主に信頼する人を水に根を張った木にたとえる(7節以下)。ヨブ29章19節も「水際に根を張る木」という比喩で、主の御教えに根ざす信仰の堅固さや持続性を表し、マルコ4章にも対応する。
【追記】
モーセの律法(レビ記14章など)では清めの儀式に用いる流水を「生きた水」と表現していた(新共同訳は「新鮮な水」)。勢いの良い流水は、澱んで濁った水と違い、清めの儀式に相応しい新鮮な清い水であるが、ヨハネ7章38節で主は、人間を清いものとする聖霊の賜物を「生きた水」にたとえられた。
(注)別エントリー「試論:聖霊の働きの徴を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4984
マルコ4章「種を蒔く人」のたとえでは、「根」が堅実や持続の象徴として登場するが、エレミヤ17章7節以下には「主に信頼する人は、水のほとりに植えられて根を張った葉が青々とした木」などと記され、同13節では「イスラエルの希望である主」を「生ける水の源」と呼ぶ(ヨハネ4章14節参照)。