月別アーカイブ: 2022年9月

高慢(おごり・高ぶり)が人間にもたらすものとは

(以下、聖書の日本語訳は、基本的にはフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』〔サンパウロ〕によりますが、必要に応じて他の日本語訳も適宜、引用します)

◯箴言6章16節~19節
「主の憎むものが六つある。いや、その忌み嫌うものが七つある。高慢な目、偽(いつわ)る舌、罪のない者の血を流す手、邪な計画を企む心、悪に走る速い足、偽りを吐く偽証人、兄弟の間に口喧嘩(くちげんか)の種を蒔(ま)く者が、これである」

主の「憎むもの」「忌み嫌うもの」の筆頭には、「高慢」が挙げられている。

◯マルコによる福音書7章14節~15節、20節~23節
「それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて仰せになった、『みな、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の中に入るもので、人を汚すことのできるものは何一つない。人の中から出てくるものが人を汚すのである』」
「さらにまた仰せになった、『人から出てくるもの、それが人を汚すのである。内部、すなわち人の心の中から邪念が出る。姦淫、盗み、殺人、姦通、貪欲、悪行、詐欺(さぎ)、卑猥(ひわい)、妬み、謗り、高慢、愚かさなど、これらの悪はすべて内部から出て、人を汚すのである」

ここでは主イエス・キリストも、「高慢」を「人の心の中から」出る「邪念」「悪」と位置付けておられる。

◯ローマの人々への手紙1章28節~32節
「彼らは、神を深く知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを価値のない考えのままに任せられました。そこで彼らはしてはならないことをしています。彼らはあらゆる邪なことと悪と貪欲(どんよく)と悪意に満ち、妬みと殺意と争いと欺きと敵意に溢(あふ)れ、陰口を言い、謗(そし)り、神を憎み、人を侮り、高ぶり、自慢し、悪事を編み出し、親不孝で、弁(わきま)えがなく、約束を守らず、薄情で、無慈悲です。こういう者たちは死に値するという神の定めを、彼らはよく知りながら、自ら行うばかりでなく、そのようなことを行う人たちに賛同しています」

◯出エジプト記34章5節~7節
「主は雲の中にあって降(くだ)り、彼とともにそこに立ち、主という名を宣言された。主はモーセの前を通り過ぎて宣言された、『主、主とは、憐(あわ)れみ深く、恵みに富み、怒ること遅く、慈(いつく)しみとまことに溢(あふ)れる神である。千代に慈しみを及ぼし、悪と背(そむ)きと罪を赦(ゆる)す。しかし、罰すべき者は罰せずにはおかない。父の悪を子に報い、孫に報いて三代、四代に及ぼす』」

◯箴言14章16節
「知恵ある者は畏れて悪を避けるが、愚か者は高ぶって自分を過信する」

◯詩編75(74)編5節~6節、11節
「『わたしは高ぶる輩(やから)には《高ぶるな》と言い、悪い輩には《角(つの)を上げるな》と言う。お前たちの角を高く上げるな。高慢なことを言い張るな』」
「『わたしは悪い者の角をことごとく折る。正しい者の角は高く上げられる』」

この「角(つの)を上げる」という表現とは、明らかに「威光を輝かせる」ということについてのレトリック、比喩──つまりヘブライ語の慣用句であることがうかがえる。

◯申命記8章12節~14節、17節~18節
「あなたが食べて満ち足り、立派な家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れが殖え、金銀が増し、また、あなたのあらゆる持ち物が増すとき、あなたの心が驕り高ぶり、あなたの神、主を忘れないように気をつけなさい」
「あなたは心の中で、『わたしの力、わたしの手の働きでこの富を築き上げた』と言ってはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。主があなたの先祖に誓った契約を今日(こんにち)のように果たして、富を手に入れる力をあなたに与えてくださった」

◯イザヤ書5章11節~15節
「災いだ、朝早く起きて強い酒を欲しがり、夜遅くまで、ぶどう酒に身を焼く者は。酒宴には竪琴(たてごと)と琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。しかし、主の業に目を留めず、その手の働きを見ようともしない。それ故、わたしの民は、無知のために捕らえられていく。貴族たちは飢えた者となり、群衆は渇きのために干からびる。それ故、陰府は喉を大きく開け、その口を限りなく開く。エルサレムの高貴な者もその群衆も、そのどよめきと歓声とともにそこに落ち込む。人間は低くされ、人は卑しくされる。高ぶる者の目は低くされる」

◯詩編34(33)編19節
「主は、心の打ち砕かれた者の近くにあり、霊の打ち砕かれた者を救われる」

◯テモテへの第二の手紙3章1節~5節
「終わりの日には、困難な時が来ます。このことを悟りなさい。その時、人々は自分だけを愛し、金銭を貪(むさぼ)り、大言壮語し、高ぶり、ののしり、親に逆らい、恩を忘れ、神を汚(けが)すものとなるでしょう。また、非人情で、人と和解せず、中傷し、節度がなく、狂暴で善を好まないものとなり、人を裏切り、無謀で、驕(おご)り高ぶり、神よりも快楽を愛し、上辺(うわべ)は信心に熱心に見えるが、実際は信心の力を否定するものとなるでしょう。このような人々を避けなさい」

◯箴言19章23節
「主を畏(おそ)れることは、命に至ること。満ち足りて憩い、災いに遭うことはない」

◯箴言8章12節~13節
「わたしは、知恵であり、分別とともに住み、わたしには知識と思慮とがある。──主を畏(おそ)れることは、悪を憎むことである──わたしは、高ぶりと、驕(おご)りと、悪の道と、ひねくれた口とを憎む」

◯箴言14章26節~27節
「主を畏れる者には安全な城壁があり、その子供たちには逃げ場がある。主を畏れることは命の泉。これによって、人は死の罠(わな)から逃れる」

◯詩編51(50)編19節
「悔いる霊こそ、この上ない犠牲(いけにえ)。神よ、あなたはへりくだった悔いる心を、さげすまれません」

◯詩編147(146)編6節
「主はへりくだる者を支え、悪い者を地に倒される」

◯箴言29章23節
「人の高慢はその人を低くするが、へりくだる人は誉れを得る」

日本聖書協会新共同訳では「心の低い人は誉れを受けるようになる」とあり、「へりくだる人」を「心の低い人」と訳している。確かに「心の低い人」とは直訳調の表現ではあるが、しかしマタイ5章3節の「心の貧しい人」という表現を連想させるものでもある。

◯ルカによる福音書14章11節
「誰でも自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる」

◯ルカによる福音書23章39節~43節
「十字架にかけられた犯罪人の一人が、イエスを侮辱して言った、『お前はメシアではないか。自分とおれたちを救ってみろ』。すると、もう一人の犯罪人が彼をたしなめて言った、『お前は同じ刑罰を受けていながら、まだ神を畏(おそ)れないのか。われわれは、自分のやったことの報いを受けているのだからあたりまえだが、この方は何も悪いことをなさっていない』。そして言った、『イエスよ、あなたがみ国に入られるとき、わたしを思い出してください』。すると、イエスは仰せになった、『あなたによく言っておく。今日(きょう)、あなたはわたしとともに楽園にいる』」

◯詩編138(137)編6節
「主は高くいますが、低い者を顧みられ、高ぶる者には近づかれない」

◯箴言15章33節
「主を畏れることは知恵の基(もとい)。謙遜(けんそん)は誉れに先立つ」

◯ヤコブの手紙4章4節~8節
「神を捨てた人々よ、この世への愛着は、神の敵であることを知らないのですか。この世の友になりたいと思う者はみな、自分を神の敵とするのです。それとも、神はわたしたちに宿らせた霊を、嫉妬(しっと)するほど慕っておられる、と聖書に言われているのは、むなしいことだと思うのですか。また、さらに豊かな恵みをお与えになります。そこで、『神は高ぶる者に逆らい、へりくだる者に恵みをお与えになる』と言われています。ですから、神に従い、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなた方から逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神もあなた方に近づいてくださいます。罪人たちよ、手を清めなさい。二心のある人々よ、心を清めなさい」

フランシスコ会聖書研究所訳の欄外の注によれば、6節の「神は高ぶる者に逆らい、へりくだる者に恵みをお与えになる」は、ギリシア語訳箴言3章34節の引用。

◯ヤコブの手紙4章9節~10節
「悲しみなさい、嘆きなさい、泣きなさい。笑いを嘆きに変え、喜びを悲しみに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主はあなた方を高めてくださいます」

◯ルカによる福音書1章47節~53節
「わたしの魂は主を崇(あが)め、わたしの霊は、救い主である神に、喜び躍ります。主が、身分の低いはしために、目を留めてくださったからです。そうです、今から後、いつの時代の人々も、わたしを幸いな者と呼ぶでしょう。力ある方が、わたしに偉大な業を行われたからです。その名は尊く、その憐みは代々(よよ)限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕をもって力ある業を行われ、心の思いの高ぶった者を、追い散らされました。権力をふるう者をその座から引き下ろし、身分の低い者を引き上げられました。飢えた者を善いもので満たし、富める者をむなしく追い返されました」

◯箴言16章5節
「主は心高ぶる者をすべて忌み嫌われる。この者が罰を免れないのは確かである」

◯マタイによる福音書23章11節~12節
「あなた方の中でいちばん偉い者は、みなに仕える者になりなさい。自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる」

◯箴言11章2節
「高慢の来る所に恥も来る。しかし、知恵はへりくだる者とともにある」

◯箴言15章33節
「主を畏れることは知恵の基(もとい)。謙遜(けんそん)は誉れに先立つ」

◯ルカによる福音書14章11節
「誰でも自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる」

◯箴言21章24節
「高慢で横柄な者──その名は『あざける者』。彼はいばって、横柄な振る舞いをする」

◯シラ書10章7節
「高慢は、主にも人にも嫌われる。不正は、そのいずれにも好まれない」

◯シラ書16章8節
「主はロトの住んでいた町でさえも見逃されなかった。その住民の高慢を忌み嫌われたのだから」

◯箴言16章18節
「うぬぼれは破滅に先立ち、高慢心は没落に先立つ」

この箇所では、「うぬぼれ」や「高慢心」が「破滅」や「没落」を連れて来ることが、説明されている。

◯箴言17章19節
「争いを好む者は傷を好む。高ぶって語る者は滅びを求める」

◯シラ書10章12節~13節、18節
「高慢の初めは主から離れることであり人の心がその造り主から遠ざかることである」
「高慢の初めは罪であり、高慢にしがみつく人は、忌まわしいことを、雨のように降らす。それ故、主は信じ難い災いを下し、彼らを完全に滅ぼされた」
「高慢は人間のために造られたのではなく、激しい憤(いきどお)りは女から生まれた者のために造られたのではない」

◯知恵の書5章8節
「われわれの高慢は何の役に立ったのか。富と驕りはわれわれに何をもたらしたのか」

◯申命記11章16節~17節
「気をつけなさい。あなたたちの心が惑わされ心変わりし、ほかの神々に仕え、それを礼拝することのないように。さもなければ、主の怒りがあなたたちに向かって燃え上がり、主は天を閉ざされるであろう。それで、雨は降らず、地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えてくださる善い土地から速やかに滅び去るであろう」

◯イザヤ書2章1節、10節~11節、19節、21節
「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて啓示されたこと」
「岩の間に入り、塵(ちり)の中に隠れよ。主の恐ろしさとその威光の輝きを避けて。その日には、人間の高ぶる目は低くされ、人の慢心は卑しくされ、主ただひとり、高く上げられる」
「主が立って、地を揺り動かされるとき、人々は、主の恐ろしさとその威光の輝きを避けて、岩場の洞窟(どうくつ)、塵の穴に入る」
「主が立って地を揺り動かされるとき、人々は主の恐ろしさとその威光の輝きを避けて、岩場の洞穴、崖(がけ)の裂け目に入る」

◯イザヤ書13章1節、6節、9節、11節~13節、19節
「アモツの子イザヤに啓示された、バビロンについての託宣」
「泣き叫べ、主の日が近い。それは全能者からの破壊のように来る」
「見よ、主の日が来る。憤(いきどお)りと燃える怒りの、残酷な日が」
「地を荒廃させ、そこから罪人(つみびと)を断つために来る。太陽は日の出から暗く、月も光を放たない」
「わたしは世界をその悪のために、悪人をその罪のために罰する。傲慢(ごうまん)な者の驕(おご)りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。わたしは、人間を純金よりも、人をオフェルの黄金よりも希少なものとする。それ故、わたしは天を震わせ、地はその基(もとい)から揺れる。万軍の主の憤りにより、その燃える怒りの日に」
「諸王国の至宝、カルデア人の誇りと輝きであるバビロンは、神がソドムとゴモラを滅ぼされた時のようになる」

◯ヨハネの黙示録18章4節~8節
「わたしの民よ、彼女から逃げ去れ。それは、その罪に与(くみ)せず、その災いに巻き込まれないためである。彼女の罪は積もり積もって天にまで達し、神はその不正を心に留(とど)められた。彼女がお前たちに報いたとおりに、彼女にも報い返してやれ。彼女の仕業に応じて倍にして返してやれ。彼女が混ぜものを入れた杯に、その倍の量を混ぜて注いでやれ。彼女が驕り高ぶり、贅沢をほしいままにしたのと同じほどの苦しみと悲しみを彼女に与えよ。彼女は心の中で、こう言っているから、『わたしは女王の座にあり、やもめではなく、決して憂き目を見ることはない』。それ故、一日のうちにさまざまな災い──死と悲しみと飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされる。彼女を裁く神なる主は、力ある方だからである」

ここでは、「自分は神に選ばれた特別な存在だから、自分がどんなことをしても神から大目に見てもらえる」という人間の側の思い違いを、神が決して見逃されることはないことが、象徴的に説明されている。