予備的考察:いわゆる「エゼキエル戦争」

(以下、聖書の日本語訳は、基本的にはフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』〔サンパウロ〕によります)

カトリック以外のいくつかの教派では、旧約聖書のエゼキエル書38章から39章に記されているいわゆる「マゴグのゴグ」預言に関して、この預言を近未来のイスラエルで勃発するであろう戦争のことであると解釈し、また、その戦争を「エゼキエル戦争」などと呼ぶ人々も存在する。

確かに、カトリック以外の多くの教派で用いられている聖書には、いわゆるマカバイ戦争について詳細に記述された『マカバイ記一』と『マカバイ記二』が存在しないため、ダニエル書11章31節で預言された「憎むべき荒廃をもたらすもの」を実際に築かせて(マカバイ記一1章54節)、紀元前二世紀のユダヤで数年にわたり略奪と暴虐の限りを尽くしたアンティオコス・エピファネス(シリア王アンティオコス四世エピファネス)に対して、カトリック以外の多くの教派では関心がもう一つ薄いのも、いたしかたないことではある。

しかし、紀元前六世紀に預言者エゼキエルが語った「マゴグのゴグ」預言の「ゴグ」と、それからおおよそ四百年後の紀元前二世紀に実際に登場したアンティオコス・エピファネス王とを比較すると、重なる部分が決して少なくはないことが分かる。
すなわちエゼキエル書38章から39章で預言された戦争と、おおよそ四百年後に実際に起こったマカバイ戦争とは、重なる部分が決して少なくはないと言える。

いわゆる「マゴグのゴグ」預言の中に登場する、エゼキエル書の「メシェク」は、アッシリアでは「ムシュキ」と呼ばれ、アッシリアの記録に「ムシュキの王ミタ」とある人物は、古代ギリシア側の「フリギアの王ミダス」に対応する。
マカバイ記二5章22節では、フリギア出身の人物がアンティオコス・エピファネスに任命され、エルサレムで暴虐の限りを尽くした。また、同じ章の24節ではやはりエルサレムで暴虐を働いた別の人物を「ムシア人」と表現するが、最盛期にはムシュキの勢力はアナトリア西部にまで及び、その辺りの土地を古代ギリシアでは「ミュシア(ムシア、ミシア)」と呼んだ。

即位前のアンティオコス・エピファネスはローマで人質生活を送っていたが、兄の王を逆臣に暗殺されたため帰国の途に着き、その間ペルガモン(アナトリア西部)の王に後援されてミュシア兵を集めた。その十数年前までミュシアにはシリアの勢力が及んでいたため、シリアのセレウコス王朝に親近感を持つ者も少なくはなく、アンティオコス・エピファネスはミュシア兵を率いて帰国し、逆臣を倒して即位した。即位後もミュシア兵たちはそのままシリア軍の一翼を担った。

かつてペルガモン王はアンティオコス大王(アンティオコス・エピファネスの父)の高慢な態度を嫌ってローマと同盟し、大国シリアを破り小国ペルガモンの領土を拡大したが、アンティオコス・エピファネスに対しては、即位を後援して以来、終始友好的で、シリアがアナトリアで募兵するのを容認していた。

ペルガモンが長年ローマの人質だったアンティオコス・エピファネスの即位を後援した背景には、ローマの意向が当初は働いた可能性もあるが、人質時代には好人物を演じていたアンティオコス・エピファネスは、即位すると大権力者を目指す野望を隠さず、ローマの思惑を超えて各地で戦争を繰り拡げ始めた。

エゼキエル書38章11節ではゴグに対してイスラエルが無防備であると啓示されたが、アンティオコス・エピファネス時代のシリアとエジプトの戦争は、ユダヤから徴税を試みたエジプトに対し既にシリアに納税したユダヤ人たちが苦情をシリア王に申し立てたのが発端であり、ユダヤは本来シリア側だった。

長年ローマの人質だったアンティオコス・エピファネスを甘く見たエジプト側では、少年王の摂政たちが軍をシリア領内に侵攻させたが、エジプト軍は待ち受けていたシリア軍に完敗した。逃げるエジプト軍を追うシリア軍は、どこまでも攻撃の手を緩めず逆に国境を突破後エジプト全土に軍を進めてしまった。

またエゼキエル書では「メシェク」と何度も並称される「トバル」は、創世記4章22節では青銅や鉄の金属工芸と関係し、エゼキエル書27章13節もこのことを裏付けている。アッシリアでは「タバル」、古代ギリシアでは「ティバレニ」と呼ばれ、ユダヤ人の歴史家ヨセフスはコーカサスのイベリアと説明し、現代のジョージア東部からトルコ東部に存在した。
そして、紀元前二世紀前半には、かつての「タバル」が存在した領域は、やはりアンティオコス・エピファネスの影響下に置かれていた(マカバイ記二4章36節「キリキア地方」など)。

かつてムシュキ(メシェク)であったミュシアやフリギアは、アンティオコス・エピファネス王の頃にはシリアの直接支配が及ばなくなっていたが、かつてタバル(トバル)であったキリキアは、シリアが統治する地域であった。後述するように、ミュシア兵とキリキア兵は、シリア軍の一翼を共に担っていた。

メシェクとトバルに相当する存在として、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの著作中にモスコイ人とティバレノイ人が登場する。この両者の武装には木製の兜を被るという共通点があった。両者は古代ギリシアがコルキスと呼んだ国を構成する諸部族に含まれるが、現在のジョージアがコルキスに相当している。

一方で古代のユダヤ人の歴史家ヨセフスは、メシェクとはカパドキアの人々を指しその地のマザカという町はメシェクに由来すると解説する。このマザカは現在のトルコのカイセリ市であり情報をまとめると、全盛期のメシェクの勢力は現在のジョージアからアナトリア中西部にまで及んでいたと、考えられる。

イザヤ書66章19節の預言では、主の栄光が伝えられる国々の一つにトバルを挙げているが、他ならぬ聖パウロの出身地キリキア地方は旧約聖書時代のトバル(タバル)の領域とも重なる。またペトロの第一の手紙1章1節に列挙される諸地方も、旧約時代のトバルやメシェク(ムシュキ)の領域とも重なる。

アンティオコス・エピファネスのシリア軍には、五千人のミュシア兵と三千人のキリキア兵がいたことが、記録に残っている。

ユダヤ人の歴史家ヨセフスは「マゴグ」を、ギリシア人がいうところのスキタイ人と説明したが、古代ギリシアでスキタイ人という表現はマカバイ記二4章47節の通り、「道理の通じない冷酷な野蛮人」を象徴する場合があった。聖書のその節において非難されている人物はアンティオコス・エピファネスである。

『マカバイ記二』の著者は、その2章21節において、アンティオコス・エピファネスと彼の息子そしてその一党を「野蛮な異邦人たち」と表現しているが、ここで用いられているギリシア語は、本来ギリシア人がギリシア人でない人々に対して用いるべき表現である。つまりここではアンティオコス・エピファネスの一党による残虐非道な蛮行は古代のヘブライ人から見て常軌を逸しているばかりではなく、本来ならば古代ギリシア的な価値観においても受け入れ難いものであることを、示唆している。

(注)別エントリー「試論:ハヌカを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4965

約二千六百年前にエゼキエルが「マゴグのゴグ」預言の啓示を受けて以降、「メシェク」を現在のロシアの首都モスクワと関連付ける解釈は二千年以上の間、存在しないに等しかった。「メシェク=モスクワ」説は約五百年前に始まった比較的新しい解釈だが古代史や考古学の立場からは空想も同然の話である。

ルネサンスと宗教改革の後ヨーロッパでは「ヨーロッパ人はノアの子ヤフェトの末裔」とする説が広まり、創世記の系図上の人名と現実に存在する国々とを組み合わせる様々な説が提唱されたが、とりわけ東欧を中心に、ロシアの存在を現実の脅威と感じている諸国の人々のあいだで「メシェク=モスクワ」説が流行するのも、ある意味では当然だった。

旧約聖書の「ゴメル」は、古代ギリシアがキンメリア人と呼んでいた紀元前八世紀まで黒海北方にいた人々を指すとする見解が有力である一方、ユダヤの歴史家ヨセフスはギリシア人がいうところのガラテヤ人であると説明した。預言者エゼキエルの時代までには、キンメリア人はアナトリアへと移動していた。

エゼキエルの時代の百数十年前に、黒海北方のキンメリア人(ゴメル)はスキタイ人(マゴグ)に追われコーカサスを越え南下、やがてゴメルとマゴグはアナトリアに侵入し、そこにはメシェク・トバル・トガルマその他が先住していた。エゼキエルの時代までにはマゴグはメシェクとトバルを従属させていた。

エゼキエル書38章6節に北の果てのベト・トガルマとあるがトガルマの家(ベト)すなわち拠点はアッシリアではテガラマと呼ばれアナトリアにあり、活動はコーカサスに及び、6節までに登場するメシェク・トバル・マゴグ・ゴメル・トガルマは、エゼキエルの時代は全てアナトリアを拠点に活動していた。

アナトリアに侵入したスキタイ人はメディア人と連携しアッシリアを滅亡させたが、メディアと西のリディアが「日食の戦い」後、和睦したことに、多数派のスキタイ人は同調せず、メディア人によってコーカサスの北に追い返され、メディア人との連携を保ち続けた少数派のスキタイ人だけが中東に定着した。

(注)別エントリー「試論:ディアスポラを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4956

エゼキエル書38章で預言されている戦争で重要なのは、イスラエルに侵入する「マゴグのゴグ」の陣営には、古代には世界屈指の主要国でイスラエルにとって極めて縁の深い存在だった南の大国エジプトが含まれてはいない、という点である。
そうかといって、このエゼキエルの預言にはイスラエルの同盟国としてエジプトが登場するというわけでもない。
実に奇妙な話だが、この戦争において、イスラエルにとって大きな影響力を持つ存在であるはずのエジプトは、イスラエルの敵としても味方としても登場しないのである。
このエゼキエル書38章で預言されている戦争には、なぜ古代の主要国であるエジプトが不在なのか──この「エジプトの不在」という点が、この預言で語られている戦争の発端を考える上で重要な鍵と考えられる。

もしも、紀元前六世紀に啓示されてエゼキエル書に記録された「マゴグのゴグ」預言が、おおよそ四百年後の紀元前二世紀に現実の出来事となったマカバイ戦争について語っているとするならば、この預言の中の戦争は「世界最終戦争」ではありえないし、さらにこの預言は「終末預言」ですらないという話になる。

19世紀前半の作家エドガー・アラン・ポーは、アンティオコス四世エピファネスを題材にした、「エピマネス(狂人)」という作品を書いたが、その冒頭には「アンティオコス・エピファネスは、一般的に預言者エゼキエルのいうところのゴグと見なされている」などと記されている。

なお、このエントリーではもっぱらエゼキエル書に登場する「ゴグ」について考察するが、ヨハネの黙示録20章8節の「ゴグ」に関しては、また別に扱うべきであると考えられ、このエントリーでは最後の部分で簡単に説明する。

【1】旧約聖書のエゼキエル書には、いわゆる「マゴグのゴグ」預言があり、イスラエルから見て北方に位置する諸民族を主力に編成された一大軍団が大挙してイスラエルに侵攻し、民族的な一大危機にイスラエルが見舞われると預言されている。この預言は紀元前六世紀になされたものであるが、旧約聖書第二正典のマカバイ記一とマカバイ記二には、それからおおよそ四百年後の紀元前二世紀に、当時ユダヤの支配者であったシリア王アンティオコス四世エピファネスが、大軍を率いてユダヤに現われ、軍事力を背景にして数年にわたり、ユダヤで略奪と暴虐の限りを尽くしたことが記述されている。

【2】エゼキエル書39章の終わりの部分(21節以降)には、たとえ一時的にであれイスラエルがそのような試練を経験する理由として、イスラエルの人々の心が神から離れてしまい、そのために神はイスラエルの人々から「顔を隠す」と書かれている。神が「顔を隠す」というこの表現は、申命記31章で主がモーセに将来に起こる事態について警告された際に用いられたもの(17節、18節)だが、その警告とは、イスラエルの民の心が神から離れることによって訪れることになる民族的な危機についてである。つまり「マゴグのゴグ」預言は申命記31章における警告と基本的に同類の事柄である。

【3】マカバイ記二5章には(17節以降)、エゼキエル書39章の終わりの部分に書かれている預言と同様の事柄が、紀元前二世紀にエルサレムの神殿で実際に略奪を行なったアンティオコス・エピファネスの側に焦点を当てて、記述されている。つまりエルサレム神殿とユダヤの民が厳しい試練にさらされてしばらくのあいだ荒廃の時代を経験することになるのは、当時のエルサレムの民の間に不信仰がはびこっていたためではあるが、それもあくまで一時的なものであり、最終的には神とユダヤの民との「和解」によって、神殿とイスラエルは元の繁栄の時代に戻るであろうということが、語られている。

【4】ダニエル書11章においては、将来的にイスラエルが「北の王」「南の王」と呼ばれる南北の二大勢力の間で翻弄されることになる歴史について預言されている。ダニエルの預言も紀元前六世紀になされたものであるが、この章の後半部分で語られる「北の王」こそが、実際の歴史上ではアンティオコス・エピファネスその人であると見なされている。なぜならマカバイ記一1章54節でアンティオコス・エピファネスは、エルサレム神殿の祭壇に「荒廃をもたらす憎むべきもの」を築かせたが、このいまわしい事件がまさにダニエル書11章31節の預言の成就であることは疑いようがなかったからである。

【5】そもそも、アンティオコス・エピファネスが一大軍事行動を起こした本来の動機は、長年の宿敵であった「南の王」すなわちエジプトのプトレマイオス王朝を屈服させることにあった。当初このエジプト遠征はアンティオコス・エピファネスの思惑通り順調に進み、あと少しでエジプトを完全に手中に収めるところまで行ったが、当時世界最強の勢力だったローマからの横槍によって、アンティオコス・エピファネスはエジプトから完全撤退することを余儀なくされてしまった。実はシリアのセレウコス王朝は、アンティオコス・エピファネスの父親の時代にローマと戦って敗れており、ローマからの威圧に逆らうことはできなかった。

【6】アンティオコス・エピファネスの父親で「大王」とも呼ばれたアンティオコス三世は、元を辿ればマケドニアのアレクサンドロス大王の幕僚(将軍)の子孫であり、アレクサンドロス大王の大征服王国の広大な領土を再現する野望を抱いて各方面に侵攻したが、最終的にはローマと戦って敗れてしまい、巨額の貢納金をローマに支払い続ける約束をさせられた。そしてアンティオコス・エピファネスのエジプト遠征もまたローマの横槍によって、結局は<骨折り損のくたびれ儲け>に終わってしまった。なお、ローマが介入したこのエピソードも、ダニエル書11章30節の預言の成就と見なされている(「キティム」をローマと解釈する)。

【7】エジプト遠征の全成果を放棄して撤兵せざるを得なかったアンティオコス・エピファネスは憤懣やるかたなかったが、圧倒的な<強者>であるローマにはやはり立ち向かえず、またローマに対する巨額の貢納金を算段する必要にも迫られ、怒りの鉾先を<弱者>に見えたユダヤに向けた。本国シリアへの帰途に立ち寄ったエルサレムで、アンティオコス・エピファネスは神殿の財産に目を着けて大規模な略奪を行ない、またユダヤ人に対して思うさま暴虐を働くことで溜飲を下げた。エゼキエル書38章では、「ゴグ」のイスラエル侵入の目的は金銀など財産の略奪ではあったが単にそれだけでは終わりはしないこともまた、預言されている。

【8】エゼキエル書38章では、「ゴグ」の侵入に対して当初イスラエルの民は「無防備」(11節)ともいえる状態であることが預言されているが、アンティオコス・エピファネスの父親の時代には、既にユダヤはシリアのセレウコス王朝の支配下に入っており、また本来、アンティオコス・エピファネスが一大軍事行動を起こしたのはあくまでもエジプト遠征のためであったので、いくらローマへの巨額の貢納金を算段するためとはいえ(マカバイ記二8章10節)、まさかユダヤで大規模な略奪や恐るべき暴虐が行なわれることになろうとは、被害を蒙った当のユダヤ人たちも予想はしていなかった。しかし、この惨劇はその後ユダヤを見舞う大きな民族的な試練の始まりに過ぎなかった。

【9】イスラエルに侵攻した「ゴグ」に対して、エゼキエル書39章ではイスラエルの神なる主が制裁を加えられると預言されている。マカバイ記二の9章では、尊大極まりないアンティオコス・エピファネスに対して、遂に神が目に見えぬ致命的な一撃を加えて罰せられた(5節)ことが記述されている。結局アンティオコス・エピファネスは、激痛に苦しみながら頓死することになるが、その直前の箇所(4節)には、この王がユダヤ人たちにむごい仕打ちを行ない続けた動機に関しては、それが<うさ晴らし>や<八つ当り>のたぐいであったことが書かれている。マカバイ記一とマカバイ記二には、アンティオコス・エピファネスのユダヤ人に対する情け容赦のない残虐行為の数々が記述されている。

【10】エゼキエル書39章には「軍勢」を意味する「ハモン」というヘブライ語が登場し(11節、15節)、また、「ハモン」と掛け言葉のようなかたちで「ハモナ」(16節)と呼ばれる町が登場する。しかし、この「ハモン」というヘブライ語は、「富」(エゼキエル書29章19節、同30章4節)「ざわめく声」「蛮声(ばんせい)」(ともに同23章42節)などといった別の異なる色々な意味合いでも解釈し得る単語ではある。このヘブライ語「ハモン」は同じエゼキエル書の7章では、「騒ぎ」(11節)や「万民」(12節、13節、14節)とも日本語訳され、同5章7節では「強情」とも表現されている。もしも<掛け言葉>また<言葉遊び>的に「ハモン」を「富」と解釈するならば、当然「ハモナ」とは「富」に象徴される町、すなわち富裕な都であるエルサレムを示唆していることにもなる。

【11】マカバイ記二の9章には、神からの目に見えぬ致命的な一撃を受けて激痛に苦しみ続けるアンティオコス・エピファネスの死ぬ間際の言葉が、記録されている。それは、ユダヤ人に対する悪事の計画で、最終的には実現しなかったものだったが、一つは<エルサレムを破壊してその町をユダヤ人たちの「共同墓地」とするつもりだった>(4節、14節)企みと、もう一つは<ユダヤ人は埋葬にすら値しないので野ざらしにしたまま鳥や獣の餌食にしてやるつもりだった>(15節)という企みである。このアンティオコス・エピファネスのユダヤ人に対する悪しき目論みは、エゼキエル書39章の預言でイスラエルの神である主によって「ゴグ」とその「軍勢(ハモン)」に対して語られている事柄とは、裏返しの意味で奇妙に対応している。シリア王アンティオコス・エピファネスの頓死によって、その悪い企みは阻止され、ユダヤ人たちはセレウコス王朝の勢力をやがて駆逐して、独立を達成した。

【12】「ゴグ」という言葉は古代のギリシア語訳民数記24章7節にも登場するが、ヘブライ語本文や他の各国語訳聖書では、「アガグ」である。サムエル記上15章にあるように、「アガグ」は古代のイスラエル人にとって不倶戴天の敵であるアマレクの王を意味する称号で、エステル記3章1節の「アガグ人ハメダタの子ハマン」という箇所の「アガグ」とも同じである。このエステル記における「アガグ人」を古代のギリシア語訳聖書では最初は「ブガイ人」と訳しているが、さらに読み進めると、ハマンの素性に関して、実はこの人物が「マケドニア人」であることが明らかにされる(ギリシア語エステル記9章24節)。ハマンは古代のペルシア王国において重臣となってユダヤ人の絶滅を企んだ人物で、最終的にハマンは逆にユダヤ人によって打倒されたが、この一連の物語がエステル記によって記録されている。「アガグ人」ハマンはまさにユダヤ人にとっての「民族的仇敵」ともいうべき人物である。つまり「アガグ」はマケドニアと関連している蓋然性がある表現で、エゼキエル書の「ゴグ」もまた「ユダヤ人にとっての民族的仇敵である(ユダヤ人の絶滅を企んでいる)一人のマケドニア人」を暗示している可能性がある。「アマレク」「ハマン」「アンティオコス・エピファネス」の三者に共通する特徴は、「古代のイスラエルにとっての民族的仇敵」という点に他ならない。マカバイ記二8章9節には、シリアの将軍ニカノルがユダヤ人の絶滅を目的に派遣された出来事が、記されている。アンティオコス・エピファネスの先祖は元来、マケドニアのアレクサンドロス大王の幕僚(将軍)であり、その意味でシリア王アンティオコス・エピファネスのルーツは、遠くマケドニアにあった。

(結論)

要するに、エゼキエル書の「マゴグのゴグ」預言は大筋において古代のうちに既に成就した事柄であると、見なすことができる。もちろん、エルサレム神殿の莫大な富に目を着けて略奪を行なおうという試み自体は、ローマ帝国の統治時代にも見られた光景ではあり、その意味では、紀元七〇年におけるエルサレムの滅亡ともこの預言が完全に無関係というわけではない。ただし決定的な違いは、アンティオコス・エピファネスによってユダヤが蒙ることになった荒廃の時代はやがて終わりを迎えたが、ローマ帝国による紀元七〇年の滅亡がもたらした破壊的な影響はマカバイ時代のそれとは比較にならないほどはるかに長期間に及ぶ甚大なものであった、という点に他ならない。

(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3859

エゼキエル書38章5節のペルシアはアレクサンドロス大王に征服されたが、その死後はシリアのセレウコス王朝の領土となったものの、支配力の低下を懸念したアンティオコス大王やその子アンティオコス・エピファネスは東方遠征を行ない、ペルシア支配の強化を図った(マカバイ記一3章31節以下等)。

また同節の「クシュ」は、現代のスーダンなどエジプトの南方を指し、シリア王アンティオコス・エピファネスの時代にはクシュの一部がエジプトに従属していたが、圧倒的な勢いを誇るシリア軍がエジプトの大半を掌握したのを知りアンティオコス・エピファネスの遠征の際、シリア軍の側になびいた(ダニエル書11章43節参照)。

上エジプトの古都テーベは、プトレマイオス王朝の首都アレクサンドリアに対抗意識を抱き続け、度々反乱を起こしたが、クシュ人も反乱に加担していた。「敵の敵は味方」でシリアのセレウコス王朝とも通じており、アンティオコス・エピファネスのエジプト遠征の際は、テーベにはシリア軍が駐屯していた。

エゼキエル書38章5節の「プト」は現代のリビアのことで、シリア王アンティオコス・エピファネスの時代にはキレネなど地中海南岸はエジプトの支配下にあったが、圧倒的な勢いのシリア軍がエジプトの大半を掌握したのを知りアンティオコス・エピファネスのエジプト遠征の際にはシリア軍側になびいた(ダニエル書11章43節参照)。

アンティオコス・エピファネスのエジプト遠征の際、シリア軍の快進撃の前になすすべがなかったエジプトの少年王はサモトラケ島に逃亡を図ったが捕虜となる惨敗で、古都メンフィスの神官たちはアンティオコス・エピファネスをファラオとして戴冠させた。クシュやプトがシリア軍になびくのも必然だった(マカバイ記一1章16節〜19節参照)。

ローマ使節団による介入と威嚇を受けてシリア軍は慌ててエジプトから撤退したが、当時この撤退の理由はシリア王の急死のためという偽情報が流れ、これを真に受けたユダヤの前大祭司ヤソンはクーデターを起こし失敗した。この事件を知ったアンティオコス・エピファネスは激怒しユダヤで虐殺を行なった(マカバイ記二5章5節以下参照)。

エジプトから帰還したアンティオコス・エピファネスは、遠征が成功に終わったことを内外に誇示するため、ダフネ(マカバイ記二4章33節)で戦勝を祝う大競技会を開催したが、そこでは五千のミュシア(ミシア、ムシア。アッシリア史料のムシュキ。旧約聖書のメシェク)兵それから三千のキリキア(アッシリア史料のタバル。旧約聖書のトバル)兵とが行進していた。

旧約聖書の「ゴメル」に関して、ユダヤ人の歴史家フラヴィウス・ヨセフスは、ギリシア人がいうところのアナトリアのガラテヤ人のことであると説明したが、アンティオコス・エピファネス王がダフネで開催した競技会では五千人のミュシア兵や三千人のキリキア兵の他、五千人のガラテヤ兵が行進していた。

古代のギリシア語訳エゼキエル書38章2節にはメシェクとトバルと並び「ロシュ」が登場する。これはウラルトゥ(聖書の「アララト」。現在のアルメニア)の王ルサを指し、現在のロシアとは無関係で、ウラルトゥは南のアッシリア及び北のゴメルとマゴグに侵略され衰退したがエゼキエルの時代には、なお小国として残っていた。

ローマがアンティオコス大王を破った後にシリアのセレウコス王朝から切り離したアルメニアは、独立後もシリアとは同盟関係にあった。しかし、ユダヤの反乱に触発されて、アルメニアもシリアから離反を図ったためアンティオコス・エピファネスの怒りを買い、シリア軍に新都を占領されて属国扱いされた。

エゼキエル書39章6節には、「火をマゴグと海岸地方に安らかに住む者たちに送る」とあるが、アンティオコス・エピファネスの死後、イスラエル軍に追われてペリシテのダゴン神殿に逃亡したシリア軍が、火を放たれて、ダゴン神殿もろとも壊滅させられたと、マカバイ記一10章84節には記されている。

エゼキエル書38章の預言の中でも語られている通り、「ゴグ」がイスラエルに侵入する主要目的は「金銀」や「財産」の「略奪」ではないかと周辺から「非難」を受けるような性質のものであり(13節参照)、現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、ましてや、「家畜」(12節、13節。マカバイ記一1章32節も参照)の略奪が話題にされるような戦争が、近未来に勃発する「世界最終戦争」などであるわけがない。

(注)別エントリー「ヘブライ語聖書は『空中』とは表現しない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4223

エゼキエル書38章から39章に言及される軍隊の主力は騎兵部隊で現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、また軍隊全体の武装も大盾・小盾・剣・兜・弓矢・棍棒・槍の類いで前近代的と形容せざるを得ず、この戦争を「世界最終戦争」とか「終末預言」とか言い立てるのは羊頭狗肉もはなはだしい。

なお、ダニエル書11章31節の「憎むべき荒廃をもたらすもの」(フランシスコ会訳)については、日本聖書協会新共同訳は同じく「憎むべき荒廃をもたらすもの」、講談社バルバロ訳は「荒廃のいとわしいもの」、日本聖書協会口語訳は「荒す憎むべきもの」などの表現となっている。

(注)別エントリー「『荒廃をもたらす憎むべきもの』とは何か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/84

エゼキエル書39章の終わりの方では、たとえ一時的にであれイスラエルがそのような試練を経験する理由として、その時代のイスラエルの人々の心が神から離れてしまい、そのためにイスラエルの人々から神が<顔を隠す>と表現されている(23節、24節)。しかし、その後の25節で、主なる神は、「ヤコブ」すなわちイスラエルの「繁栄」を「回復」すると仰せになっている。

つまり、イスラエルの民が厳しい試練にさらされてしばらくのあいだ荒廃の時代を経験することになるのは、その時代のイスラエルの民の間に不信仰がはびこっているためではあるが、ただそれもあくまで一時的なものであり、最終的には神とイスラエルの民との<和解>によって、イスラエルは元の繁栄の時代に戻るであろうということまでが、エゼキエル書39章では預言されているのである。

この戦争の後にはイスラエルが元の繁栄の時代に戻るというところまで主なる神は預言されているわけなのだから、この預言で語られている戦争は「世界最終戦争」ではありえないし、この預言は「終末預言」ですらない。

エゼキエル書38章で預言されている戦争において「ゴグ」の侵入目的は、「金銀」や「財産」や「家畜」の「略奪」ではないかと周辺から「非難」を受ける性質のものであり、現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、まして家畜の略奪が話題にされるような戦争が「世界最終戦争」であるわけがない。

エゼキエル書38章12節はゴグが「地上(イスラエル)」の「中心(エルサレム)」を襲う主要目的の一つに、「財産」を挙げる。エルサレムが圧倒的に富裕な「中心」たりえるのは、神殿税や献金の集まる神殿の所在地だからであり、従ってこの預言が成就するのはエルサレムに神殿が存在する時代である。

バビロン捕囚からの帰還と主イエス・キリストの御降誕との間の約五百年で、アンティオコス四世エピファネスによる迫害ほどイスラエル人にとって苛酷な惨劇はなかった。エゼキエル書38章で預言されている危機的状況をマカバイ記の時代の惨劇とは全く無関係と捉えるのは、やはり解釈として無理がある。

(注)別エントリー「ユダヤ教はダニエル書を預言書扱いしない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4210

なおエゼキエル書38章の「マゴグのゴグ」預言の中の、13節「タルシシュの商人」に関して、古代のギリシア語聖書は「タルシシュ」を「カルタゴ」と解釈したが、商業国家カルタゴは紀元前一四六年には既に滅亡しており、従って時系列的に、「マゴグのゴグ」預言はカルタゴ滅亡以前の時期に実現していなければならないが、シリア王アンティオコス・エピファネスがユダヤにおいて大規模な略奪や暴虐を働いたのは、カルタゴ滅亡の約二十年前、紀元前一六七年頃のことである。

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962

ユダヤの歴史家ヨセフスはマゴグをスキタイ人と説明したが、古代ギリシアで「スキタイ人」は「残酷非道な野蛮人」の比喩でもあった。キリスト教では当然スキタイ人も救いの対象であるため(コロサイ3章11節)、黙示録20章8節のマゴグは特定の民族を意味せず「残酷非道な人々」の意味だけが残る。

エステル記のハマンとマカバイ時代のアンティオコス・エピファネスという、旧約の民イスラエルにとって二人の民族的仇敵を輩出したマケドニアではあるが、新約時代のキリスト教ではスキタイ人同様に当然マケドニア人も救いの対象であり、使徒言行録16章9節から10節にはそのことが叙述されている。

そして、黙示録20節8節の「ゴグ」とは、「(新約時代の)神の民」に敵対する「残酷非道な人々」の総帥であり、アンティオコス・エピファネスの再来の如き存在を、意味している。