試論:「命に通じる門」を140文字以内で

主イエスはマタイ7章14節では「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」と教えられたが、ヨハネ10章9節では「わたしは門であり、わたしを通って入る者は救われる」同14章6節では「わたしは道・真理・命であり、わたしを通らなければ誰も父の許に行くことはできない」と仰せになった。

(注)別エントリー「試論:天の国の条件を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5312

(注)別エントリー「試論:『針の穴』何のたとえ??を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10544

【追記】

マタイ7章で主は「狭い門から入りなさい」(13節)「命に至る門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない」(14節)と仰せになったが、詩編118編19節以下には「正義の門よ開かれよ。わたしは入って主に感謝しよう。この門は主の門だ。主に従う者はこの門から入る」とある。

マタイ7章は「門」という比喩で、「神の国」に入るための条件「神の義」(6章33節)を表現した。これは詩編118編19節以下「義の門よ開け。この門は主の門だ。主に従う者はここから入る」とともに、イザヤ26章2節「門よ開け。信仰を守って神の義に従う民が入れるように」とも関連している。

(注)別エントリー「試論:『滅びに通じる門は広い』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8105

(注)別エントリー「試論:『神の義』と詩編を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6798