(以下の聖書からの引用は、基本的にはフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』(サンパウロ)によりますが、その他の聖書から引用する場合は、その都度、適宜その旨を付け加えます。また聖書ヘブライ語や聖書ギリシア語は、適宜ラテン文字転写して提示します。)
主イエス・キリストの系図は、マタイ(1章)そしてルカ(3章)の二つの福音書において、記述されている。
ただ、この両者の記述する系図には、そもそもイエスの養父ヨセフの父に当たる人物の名前から既に違って(マタイによれば「ヤコブ」、ルカによれば「エリ」または「ヘリ」)いる点をはじめ、互いに著しい相違が存在するため、古代より問題とされてきた。
この著しい相違が存在するという問題点を解決する方法として、歴史的に大きく分けて二つの方法が古代より提唱され、現代に至るまで受け継がれている。
まず、一つ目の方法としては、
【A】マタイの系図が養父ヨセフの方の家系図で、ルカの系図が母マリアの方の家系図と考える
という見解である。
マタイ福音書とルカ福音書では、ともに、主イエス・キリストの公生活以前の聖家族について記述しているが、どちらといえば、マタイがヨセフに焦点を当てて記述している一方で、ルカはマリアに焦点を当てて記述している。
よって、マタイの系図とルカの系図とが相違する場合、当然、
「マタイの系図が養父ヨセフの方の家系図で、ルカの系図が母マリアの方の家系図である」
と推論することになる。
この場合、ルカ福音書の系図にヨセフが組み込まれた(3章23節)理由としては、
「母マリアが『跡取り娘』である一方で、養父ヨセフは『跡取り息子』ではなかった」
という仮説(仮定)が前提条件として考えられる。
それに対して、二つ目の方法としては、
【B】マタイとルカの家系図の相違は、「レビラト婚」の概念を踏まえることで解決される
という見解である。
レビラト婚(あるいはレビレート婚)とは、申命記25章5節にあるモーセの律法を踏まえた結婚で、ある男性が跡取りとなる子供を儲けることなく亡くなった場合に、亡くなった男性の跡取りを儲けるために、その男性の残された妻が亡夫の「兄弟(古代における広い意味の《兄弟》すなわち近親者の男性全般)」という律法の存在が、マタイとルカの両家系図における父親たる男性の名前の相違を生じさせた、と仮定して解決を図ろうとするものである。
(注)別エントリー「古代イスラエルの『兄弟』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8369
◯申命記25章5節(フランシスコ会訳)
「兄弟がともに住んでいて、そのうちの一人が息子を残さずに死んだ場合、そのやもめは外に出て、ほかの男と結婚してはならない。亡き夫の兄弟が彼女の所に入って彼女を妻として迎え、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。」
(注)フランシスコ会訳では「息子を」だが、日本聖書協会新共同訳では「子供を」。また相続人が女性である場合については、民数記27章1節から11節までで定められ、同36章で再び言及されている(民数記36章8節:「イスラエルの子らの部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父祖の部族に属する氏族の者に嫁がねばならない。」)。
ただし、後者の方法、すなわち【B】をいったん採用してしまうと、議論がどんどん複雑になり、レビラト婚の存在をいくらでも(何重にも)想定して、それを積み重ねてしまうことも可能であるため、近代以前より、議論として収拾がつかなくなってしまう可能性が早くから指摘されていた。
実際問題として、古代より様々の相矛盾する仮説が現在までに次から次へと数限りなく提唱されてきたものの、「レビラト婚」の存在を前提にマタイとルカとの間の矛盾を解決しようとする試みには、決定的な成功を収めたものが未だに存在しない。
バルバロ訳聖書(講談社)の注には、「ユリウス・アフリカヌス」の説として、【B】の見解に関して述べられているが、ただしここで注意しておかなければならないのは、五世紀末の教皇である聖ゲラシウス一世の名前がしばしば冠せられる『教令集』において、このユリウス・アフリカヌスの著作群は否定的な評価を与えられており、少なくとも四世紀後半から六世紀前半のローマ教会においては彼の言説は要注意の扱いを受けていた、と見なされる点である。
そこから、やはり【B】のレビラト婚を前提とした議論自体に無理があるのではないか、と考え、【B】の方法を棄却し、【A】マタイ福音書の系図が養父ヨセフの方の家系図でルカ福音書の系図が母マリアの方の家系図と想定する、という線で話を進めてみることにする。
ところが、仮にこの【A】の方の仮説を正しいものとして受け入れるならば、そこからまた、別の問題とすぐに直面してしまう。
ルカ福音書3章の系図を、イエスの母マリアについてのそれと考えるならば、23節にヨセフの父として名前が挙げられているところの、
「エリ(またはヘリ、Ηλι – Ēli)」
という人物こそ、実は聖母マリアの父親の名前ということになる。
しかしカトリック教会の聖伝によれば、イエスの母マリアの両親の名前は当然、ヨアキムとアンナであったはずである。
聖伝の通りにマリアの父親を、
「ヨアキム(またはヨヤキム、ιωακιμ – Iōakim)」
と考えるならば、問題点として、それではルカ3章23節の「エリ」または「ヘリ」なる人物は、いったい何者なのであろうか???
この「ヨアキム」と「エリ」の問題に関しては、近代においてカトリックの学者の少なくとも一部から好まれ、またプロテスタントの学者の一部からも支持されていた、一つの解決法ともいうべき考え方がある。
聖伝によるマリアの父親の名前である「ヨアキム(ヨヤキム)」は、もともとの古風なヘブライ語表現としては、
「エリアキム(エリヤキム、אֶלְיָקִים – Elyaqim)」
であったはずで、それが時代が下るにつれ後述する故事によって「ヨアキム(またはヨヤキム)」となった。一方で、ルカ3章23節に記述されている「エリ」については、「エリアキム(またはエリヤキム)」の省略形と考えるべきで、以上の経緯から、当時「ヨアキム」の愛称または別称として(元来「ヨアキム」という名前は「エリアキム」に由来することから)、「エリ」が使われていたと推測できる根拠は十分にある。
つまり、カトリック教会の聖伝が聖母マリアの父親としている「ヨアキム」と、ルカ3章23節に記述されている「エリ」または「ヘリ」とは、同一人物である蓋然性が高いと考えられる。
ところで、同じルカ3章の30節には、イエスやヨセフや「エリ」からは相当さかのぼった先祖として、「エリアキム(ελιακιμ / ελιακειμ – eliakim / eliakeim)」という人物が登場するが、もはや既に遠い祖先であったからか、こちらの人物はもともとの古風なヘブライ語に基づいた表現が用いられている。
ちなみに、「エリアキム(エリヤキム)」という名前は、
「神は起こす(興す)」
「神は上げる(挙げる)」
「神は建てる(立てる)」
「神は準備する」
等といった意味合いであるものと考えられるが、「ヨアキム(ヨヤキム)」という名前は、
「主(ヤーウェ)は起こす(興す)」
「主(ヤーウェ)は上げる(挙げる)」
「主(ヤーウェ)は建てる(立てる)」
「主(ヤーウェ)は準備する」
等といった意味合いであるものと考えられる。
旧約聖書の歴代誌下には、「エルヤキム」という人物が「ヨヤキム」に改名させられた経緯が記述された箇所がある。
◯歴代誌下36章4節(フランシスコ会訳)
「それからエジプトの王は、ヨアハズの兄エルヤキム(אליקים – Elyaqim)をユダとエルサレムの王にし、その名をヨヤキム(יהויקים – Yehoyaqim)と変えた。ネコ(נְכוֹ – Neko)はヨヤキムの兄弟ヨアハズを捕らえ、エジプトへ連行した。」
この場合の「エルヤキム」は、七十人約聖書のギリシア語では、「エリヤキム(ελιακιμ – eliakim)」である。
エジプト王(ファラオ・ネコ(נְכוֹ – Neko))の目には、格下であるユダヤの王が「エル(ελ – el)」すなわち「神」という言葉を含んだ名前を名乗っていることは、自分に対する不遜な行為であると映ったのであろう。
しかし、「神」を「主(ヤーウェ)」に置き換えるのならば、そこから先はエジプト王には問題とされなかったのである。
歴代誌下36章4節と同様の記述が、列王記下23章34節にも存在している。
◯列王記下23章34節(フランシスコ会訳)
「それからファラオ・ネコ(פַרְעֹה נְכֹה – Paroh Nekoh)は、父ヨシヤの代わりにヨシヤ王の子エルヤキム(אליקים – Elyaqim)を、名をヨヤキム(יהויקים – Yehoyaqim)と変えて王とする一方、ヨアハズをエジプトへ連行した。ヨアハズはそこで死んだ。」
ファラオにとっては、ユダヤの王が名前の一部に「神」という言葉を使うことは容認できかったが、どうやら「主(ヤーウェ)」という言葉は許容範囲内であったらしい。
この故事は歴代誌下や列王記下に収録されるほどであったので、「ヨアキム(ヨヤキム)」という人名がもともとは「エリアキム(エリヤキム)」のことである、という由来は古代のイスラエルにおいては周知の逸話であったものと考えられる。
聖書時代のイスラエル人が複数の名前で呼ばれることは、決して珍しいことではなかった。
主イエス・キリストの十二使徒で考えると、マタイは「レビ」と呼ばれ、トマスは「ディディモ」と呼ばれ、タダイは「(イスカリオテでない方の)ユダ」と呼ばれている。
またペトロは「シモン」の他に「ケファ」とも呼ばれ、十二使徒以外でも、パウロのもとの名前は「サウロ」である。
ところで、古代のイスラエルにおける結婚観について、旧約聖書第二正典のトビト記が次のように記述している。
◯トビト記4章12節(フランシスコ会訳)
「息子よ、すべてのみだらな行いから身を守りなさい。何よりもまず、先祖の家系から妻を迎えなさい。お前の父の部族でない他の部族の女を娶ってはならない。なぜなら、わたしたちは預言者の子らだからである。息子よ、忘れてはならない。ノア、アブラハム、イサク、ヤコブおよびわたしたちの祖先はみな兄弟の中から妻を迎え、彼らはその子らにおいて祝福されたのである。彼らの子孫は、地を受け継ぐであろう。」
このトビト記4章12節は、聖母マリアの先祖もまた聖ヨセフの先祖と同じくダビデであるという仮説についての、聖書的根拠の一つともいえる。
(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1451
以上の議論を要約すると、ルカ福音書3章30節で聖ヨセフの父親として名前が挙げられている「エリ」は、実は聖母マリアの父親である「ヨアキム」の別称である可能性が大きいと結論した。
…..上記の結論も、マタイとルカとの家系図の相違を説明するための、あくまでも一つの仮説の域を出ない。しかし、「レビラト婚」を想定して迷路に入り込んでしまう他方の議論よりは、はるかに蓋然性の高いものと思われる。
ただし、最後に強調しておかなければならないのは、マタイ福音書の系図の書き方では「〜を生む(もうける)」という意味のギリシア語動詞(γεννάω – gennaō)が用いられて実際の血縁関係が強調されている一方で、ルカ福音書の系図の書き方では、イエスとヨセフがつながりそしてアダムと神がつながるように、必ずしも実際の血縁関係は想定されていない、という決定的な違いがある、という点である。
ルカ福音書3章の系図でヨセフとエリがつながっているからといって、エリとヨセフの間に実際の血縁関係が存在したとは言い切れないのである。
系図を説明する際に実際に用いられているギリシア語の表現が、マタイ福音書とルカ福音書とでは異なっている。
マタイ福音書によればヨセフとイエスの間には実際の血縁関係は存在しなかったし、またいうまでもなく、創世記によれば神とアダムの間にも実際の父子関係は存在しない。
しかしその一方、マタイ福音書1章16節ではヤコブとヨセフとの間に実際の血縁関係が存在したことが、原文のギリシア語動詞(γεννάω – gennaō)によって示唆されている。
ヨセフの父親はエリではなくヤコブであると考えるのが、妥当な結論であると思われる。
なお、マタイ福音書においては、父子関係を表わすギリシア語動詞(γεννάω – gennaō)とは別に、マリアがイエスを生んだことを記述する際にまた違う動詞(τίκτω – tiktō)が登場し、区別している。
このことからも、ルカよりもマタイの方が、実際の「血のつながり」(血縁関係)について記述(反映)しているものと考えられる。
ルカ福音書の系図には、「神とアダム」や「ヨセフとイエス」のように、実際の父子関係ではない組み合わせが存在しているが、「エリとヨセフ」も実際の父子ではなかったとしても、別に不思議ではないと考えられる。
ちなみに旧約聖書の歴代誌上2節には、古代のイスラエルにおける「招婿婚(婿入り婚)」の興味深い一例について、次のように記述している。
◯歴代誌上2章34節〜36節(フランシスコ会訳)
「シェシャンには息子はなく娘しかいなかった。シェシャンにはヤルハというエジプト人の召使がいて、この召使に自分の娘を妻として与えた。彼女は彼にアタイを産んだ。アタイはナタンの父、ナタンはザバドの父、」
上記の引用は、エジプト人の娘婿が跡取り息子として家系図に組み込まれている一例である。
もしもルカ福音書の系図がマリアの家系図であり、そこに入り婿としてヨセフが組み込まれた、と仮定するならば、当然、マリアの方は跡取り娘であったが、ヨセフの方は跡取り息子ではなかった(ヨセフには少なくとも一人は兄がいた)、ということになるであろう。
(注)別エントリー「主の御降誕の時ヨセフは何歳だったのか【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11500