試論:「必要なことは一つだけ」を140文字以内で

主イエス・キリストが「神の御言葉」(ヨハネ1章1節)であられる以上、最も喜びとされることは、御自分の仰せになる御言葉に人々が耳を傾けて聞き従うことである。それゆえ主はマルタからマリアを擁護された(ルカ10章41節以下)。ホセア6章6節「わたしが喜ぶのは神を知ることであって、〜」。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『憐れみと赦し』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:マルタとマリアを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

黙示録7章9節は、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆」が御父と御子を称える光景を記す。イザヤ56章1節は、正義を守り恵みの業を行う人々、すなわち、主が望まれることを選んだ(4節)人々に、救いと恵みの業が訪れることを預言する。

(注)別エントリー「試論:『選ばれた人は選んだ人』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『選ばれるかは当人次第』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『滅びに通じる門は広い』を140文字以内で」も参照のこと。
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