イエス・キリストの時代、もしもあるヘブライ人が私生児と見なされた場合、そのヘブライ人は、モーセの律法においてマンゼル(混血の人/私生児)と呼ばれるカテゴリーで扱われることになります。
そして、このマンゼル(ממזר – mamzer)は申命記(第二法の書)23章3節の規定(「マンゼルは主の会衆に加わることができない」)によって、エルサレムの神殿と各地の会堂への出入りを、厳しく禁じられていました。
ところが、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書の全てが、時としてかなり詳しく、イエスがエルサレムの神殿や各地の会堂で教えておられるのを記録しています。
よって、イエスはマンゼルではなかった(イエスはマンゼルとして扱われてはいなかった、イエス私生児説は成立しない)ということを、ごく簡潔に証明できるのです。
【追記】
神殿の中におられるイエスの姿に触れている福音書の箇所を、書き出してみます。
(1)マタイによる福音書
21章12節~17節、21章23節~24章1節、26章55節
(2)マルコによる福音書
11章15節~19節、11章27節~13章1節、14章49節
(3)ルカによる福音書
2章27節~39節、2章42節、2章46節~50節、19章45節~21章38節、22章53節
(4)ヨハネによる福音書
2章14節~22節、5章14節~47節、7章14節~39節、8章2節~59節、10章23節~39節、18章20節
また、会堂の中におられるイエスの姿に触れている福音書の箇所をも、書き出してみます。
(1)マタイによる福音書
4章23節、9章35節、12章9節~15節、13章54節~56節
(2)マルコによる福音書
1章21節~29節、1章39節~45節、3章1節~6節、6章2節~6節
(3)ルカによる福音書
4章15節、4章16節~29節、4章33節~38節、4章44節、6章6節~11節、13章10節~21節
(4)ヨハネによる福音書
6章25節~71節、18章20節
以上のようなイエス・キリストが神殿や会堂において教えているという四福音書の多くの記述そのものが、いわゆる「イエス私生児説」を明確に否定しているのです。
イエスがエルサレムの神殿や各地の会堂に出入り可能であったという事実は、実際のところ当時のユダヤ社会ではイエスが私生児扱いされていなかったことを意味しています。
(注)別エントリー「『《マリアの子》なら私生児』説は誤り」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1478