創世記6章にある通り、古代のヘブライ人は人間それ自体を「肉」と表現したが、同様に「骨」も人間それ自体を指す場合があった。箴言14章30節「憐れみの心はその人自身にも周囲の人々にも『命(=幸福や安堵感や充足感)』をもたらすが、嫉妬心は骨の隅々に至るまでその人間全体を腐らせていく」。
(注)別エントリー「試論:『肉と霊』の対比を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7740
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章14節の『肉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7783
(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11244
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332
(注)別エントリー「試論:『わたしは命である』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11586
(注)別エントリー「試論:なぜ『わたしは命』?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11740
【追記】
古代のヘブライ人は、人間(人間それ自体。人間の一部ではなく、人間全体)を
「塵(土)」(創世記2章7節、3章19節)
や
「肉」(6章3節、12節)
と表現した。同様に
「骨」(2章23節)
も人間それ自体を指す。箴言16章24節「親切な言葉は骨を癒す」の「骨」とは、
「人々」
を意味している。