最後の審判における「最も小さい者」とは

本田哲郎神父によって、「いちばん小さくされている(者)」として「翻訳」(岩波書店『聖書を発見する』9ページ)されている、マタイ福音書による25章40節の「エラヒストス(ἐλάχιστος – elachistos)」というギリシア語について、七十人訳ギリシア語旧約聖書で全用例を検索し、まずヘブライ語本文と比較可能な箇所を探すと、次の七か所が条件に合致しました。

(本田哲郎神父自身は『聖書を発見する』167ページで「エラキストス」と表記しています)

【1】ヘブライ語旧約聖書本文との比較可能な箇所における用例

新共同訳やフランシスコ会聖書研究所訳のように、直接ヘブライ語原文から翻訳された聖書の表現を確認することで、このギリシア語を日本語でどう表現するのが適当かを、検討できるわけです。また参考までにバルバロ訳の当該箇所の日本語表現をも、併記しておきます。

(新):新共同訳(日本聖書協会)
(フ):フランシスコ会聖書研究所訳(サンパウロ)
(バ):バルバロ訳(講談社)

なお、このエントリーにおいて、ギリシア語はラテン文字転写して提示します。

1.“elachistō” ヨシュア6・26
(新)「末(子)」
(フ)「末(子)」
(バ)「末(男)」

2.“elachistēs” サムエル上9・21
(新)「最も小さな(部族)」「最小の(一族)」
(フ)「いちばん小さな(部族)」「いちばんつまらない(氏族)」
(バ)「いちばん小さい(部族)」「いちばん小さい(者)」

3.“elachistōn” 列王下18・24
(新)「最も小さい(総督)」
(フ)「最小の(総督)」
(バ)「いちばん卑しい(しもべ)」

4.“elachistoi” ヨブ30・1
(新)「より若い(者)」
(フ)「より(も)年若い(者)」
(バ)「より(も)若い(者)」

5.“elachista” 箴言30・24
(新)「小さな(もの)」
(フ)「小さい(もの)」
(バ)「小さい(もの)」

6.“elachistos” イザヤ60・22
(新)「最も小さな(もの)」
(フ)「最も小さな(もの)」
(バ)「もっとも小さな(民)」

7.“elachista” エレミヤ49・20(七十人訳では同30・14)
(新)「幼い(もの)」
(フ)「小さい(もの)」
(バ)「子」

【2】旧約聖書第二正典における用例

続いて、上記の結果を念頭に置きながら、旧約聖書の第二正典における使用箇所と日本語訳を紹介します。第二正典の本文はギリシア語で書かれています。

“elachiston” ユディト16・16
(新)「(すべて)無に等しい」
(フ)「(まったく)ささいな(もの)」
(バ)「(それ)より(も)小さい」

“elachistōn” 二マカバイ8・35
(新)「(彼が)侮り、馬鹿にしきっていた(者たち)」
(フ)「無に等しい(者)と考えた(人々)」
(バ)「もっとも卑しい(民だ)と考えていた(人々)」

“elachistos” 知恵6・6
(新)「最も小さな(者)」
(フ)「最も小さな(者)」
(バ)「低い(人々)」

“elachistō” 知恵14・5
(新)「極めて小さな(船板)」
(フ)「極めて小さな(船板)」
(バ)「もろい(木)」

【3】新約聖書における用例

最後に、新約聖書における全用例についても同じように紹介していきます。いうまでもなく、新約聖書の本文はギリシア語で書かれています。
またここでは、新共同訳・フランシスコ会聖書研究所訳・バルバロ訳の他に、

(ラ):ラゲ訳(中央出版社)
(本):本田哲郎訳(新世社)

についても紹介しておきます(本田哲郎訳は『小さくされた人々のための福音』及び『コリントの人々への手紙』によりましたが、『ヤコブの手紙』は訳されていません)。

“elachistē” マタイ2・6
(新)「いちばん小さい(もの)」
(フ)「最も小さな(もの)」
(バ)「もっとも小さな(もの)」
(ラ)「最も小さき(もの)」
(本)「いちばん小さくされた(もの)」

“elachistōn” マタイ5・19
(新)「最も小さな(掟)」
(フ)「最も小さな(掟)」
(バ)「もっとも小さな(おきて)」
(ラ)「最も小さき(掟)」
(本)「いちばん小さな(掟)」

“elachistos” マタイ5・19
(新)「最も小さな(者)」
(フ)「最も小さな(者)」
(バ)「いちばん小さな(者)」
(ラ)「最も小さき(者)」
(本)「いちばん小さい(者)」

“elachistōn” マタイ25・40
(新)「最も小さい(者)」
(フ)「最も小さな(者)」
(バ)「小さな(人々)」
(ラ)「最も小さき(兄弟)」
(本)「いちばん小さくされている(者)」

“elachistōn” マタイ25・45
(新)「最も小さい(者)」
(フ)「最も小さな(者)」
(バ)「小さな(人々)」
(ラ)「最も小さき(者)」
(本)「いちばん小さくされている(者)」

“elachiston” ルカ12・26
(新)「ごく小さな(事)」
(フ)「些細な(こと)」
(バ)「些細な(こと)」
(ラ)「いと小さき(こと)」
(本)「ささいな(こと)」

“elachistō” ルカ16・10(二回登場)
(新)「ごく小さな(事)」
(フ)「ごく小さな(こと)」
(バ)「小(事)」
(ラ)「小(事)」
(本)「ごくささいな(こと)」

“elachistō” ルカ19・17
(新)「ごく小さな(事)」
(フ)「ごく小さな(こと)」
(バ)「小さな(こと)」
(ラ)「わずかの(もの)」
(本)「ほんのわずかな(こと)」

“elachiston” 一コリント4・3
(新)「少しも問題ではありません」
(フ)「いっこうに意に介しません」
(バ)「意としない」
(ラ)「いささかも意とせず」
(本)「どうでもいい(ことです)」

“elachistōn” 一コリント6・2
(新)「ささいな(事件)」
(フ)「ささいな(こと)」
(バ)「ささいな(こと)」
(ラ)「きわめて些細なる(こと)」
(本)「ささいな(こと)」

“elachistos” 一コリント15・9
(新)「いちばん小さな(者)」
(フ)「最も小さい(者)」
(バ)「もっとも小さい(者)」
(ラ)「最も小さき(者)」
(本)「いちばん小さな(者)」

“elachistou” ヤコブ3・4
(新)「ごく小さい(舵)」
(フ)「ごく小さな(舵)」
(バ)「小さい(舵)」
(ラ)「いと小さき(舵)」

【4】聖書の用例を踏まえての(予備的)考察

二マカバイ8章や一コリント4章の用例からは、「最も小さい」とはどういうことを意味しているのかが推論される。つまり、その対象(人や物事)に対する「関心・配慮(考慮)・評価・興味」といったものが「最も小さい」と理解できる。よってマタイ福音書25章の「最後の審判」の場面においては、「最も小さい者」とは「最も軽視された者」「無視された者」すなわち、

「(困窮していた時に)誰からも真面目に相手にしてもらえなかった者」

を意味している表現であると考えられる。

(以下の聖書の引用は『聖書』フランシスコ会聖書研究所訳によります)

◯申命記27章18節
「『目の見えない人を道に迷わせる者は呪(のろ)われる』。民はみな『アーメン』と言いなさい」

◯レビ記19章14節
「耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずきとなる物を置いてはならない。お前の神を恐れなければならない。わたしは主である」

◯マタイによる福音書18章7節
「人をつまずかせるこの世は不幸である。つまずきは避けられない。しかし、人をつまずかせる者は不幸である」

◯ローマの人々への手紙14章13節
「したがって、もはや互いに裁き合わないようにしましょう。むしろ、妨げになるものや、つまずきになるものを、兄弟に対して置かないよう決心しなさい」