試論;バビロンと「山」を140文字以内で

イザヤ2章は「誇る者」「傲慢な者」「高ぶる者」を「高い山」「そびえ立つ峰」と比喩的に表現する。エレミヤ51章25節で、バビロンを「滅びの山」「燃え尽きた山」と呼ぶ場合、「山」がバビロンの傲慢の象徴であるのは明らかである。同50章は29節、31節、32節でバビロンを傲慢と三度呼ぶ。

【追記】

イザヤ2章において「山」という言葉は、まず2節では神殿の所在地である都エルサレムの栄光の象徴(ダニエル9章16節「あなたの都、聖なる山エルサレム」参照)である。しかし一度その都の人々の心が神から離れるなら、「山」(14節)は「傲慢」(11節、12節)を象徴するものにも変化し得る。

(注)別エントリー「試論:『山』と『高慢』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9201

ルカ3章5節はイザヤ40章4節を引用して、「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる」と記す。預言者イザヤが到来を預言した救い主イエスも《自分を高くする者は神によって低くされ自分を低くする者は神によって高くされる》と繰り返されて、イザヤ40章4節の意味するところを御説明された。

(注)別エントリー「試論:『高慢は破滅を準備する』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7485