試論:「収穫の主」を140文字以内で

詩編126編はバビロン捕囚からの帰還を例に挙げ、神の民としては失われてしまったと思われていた数多くの人々が、神の民として主の御許(みもと)に戻って来ることを、最後の5節と6節において収穫にたとえた。「収穫の主」とは、御自分の御許に人々が戻って来るよう働きかけられる主のことである。

(注)別エントリー「試論:放蕩息子と父親を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6258

【追記】

聖書は「神は高慢な者を敵とし、へりくだる人に恵みをお与えになる」(箴言3章34節、ヤコブ4章6節、一ペトロ5章5節、イザヤ57章15節以下等)と説いた。もし人間がへりくだること(マタイ11章29節)を学ぶのならば、その人には神が安息をお与えになる(同28節、イザヤ57章18節)。

(注)別エントリー「試論:『休ませてあげよう』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6961