本田哲郎神父が福音書を“翻訳”した『小さくされた人々のための福音』(新世社)という著作の中で、マルコ福音書6章3節では故郷の村でイエス・キリストが人々から「あのマリアの子ではないか」と言われる場面があります。
「マリア」の前に「あの」という思わせぶりな言葉を付け加えるのは、「本田哲郎訳」で特に目を引く部分です。
さて、本田哲郎神父の著書『聖書を発見する』(岩波書店)には、次の記述があります。
・「そして、『あのマリアの子』とは何を意味しているのか。マタイ福音書の系図にもあったように、すべて『だれそれ』の子という言い方をされていて、しかも必ず父親の名前しか使わないのがふつうです。これはユダヤの世界だけではなく、イスラムの世界でも同じです。つまり、それが名字代わりなのです。『だれそれの子』が名字代わりになるのは、たとえばウサマ・ビン・ラディン、ウサマは名前で、ビン・ラディンは名字です。ビン・ラディンは、ヘブライ語ならベン・ラディンで、ラディンの子ウサマというわけです。」(90ページ)
・「ですから、『マリアの子』とはふつうには言わない。それは、父親が分からないということを、言外に言っているようなものです。『罪の子』であるとしか、村人たちは見ていなかったということです。」(91ページ)
次に、上記の本田哲郎神父の発言が誤りであることを端的に証明する旧約聖書の箇所を、列挙していきましょう。
なお、以下の旧約聖書の日本語訳はフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』(サンパウロ)によりましたが、新共同訳『聖書』(日本聖書協会)の訳語との異同についても、付言しておきます。
・「ハギトの子アドニヤ」
(サムエル記下3章4節、列王記上1章5節、同1章11節、同2章13節、歴代誌上3章2節)
ヘブライ語原文「アドニヤ・ベン・ハギト」
“אדניה בן חגית”
アドニヤの父はダビデ、母はハギト。
新共同訳はサムエル記下3章4節と歴代誌上3章2節で「アドニヤ、ハギトの子」。その他の箇所は「ハギトの子アドニヤ」
・「アビタルの子シェファトヤ」
(サムエル記下3章4節)
ヘブライ語原文「シェファトヤ・ベン・アビタル」
“שפטיה בן אביטל”
シェファトヤの父はダビデ、母はアビタル。
新共同訳は「シェファトヤ、アビタルの子」
・「マアカの子アビヤ」
(歴代誌下11章22節)
ヘブライ語原文「アビヤ・ベン・マアカ」
“אביה בן מעכה”
アビヤの父はレハブアム、母はマアカ。
新共同訳も同じく「マアカの子アビヤ」
・「マアカの子アブサロム」
(サムエル記下3章3節、歴代誌上3章2節)
ヘブライ語原文「アブサロム・ベン・マアカ」
“אבשלום בן מעכה”
アブサロムの父はダビデ、母はマアカ。
新共同訳では両箇所とも、「アブサロム、(ゲシュルの王タルマイの娘)マアカの子」
以上のように「ハギトの子」「アビタルの子」「マアカの子」のいずれも、父親が分からないなどということは全くありません。
本田哲郎神父の発言は誤りです。
ちなみに、ウサマ・ビン・ラディンの父親はムハンマド・ビン・ラディンという人だそうで、また「ビン・ラディン」とは「ラディンの子孫」という意味だそうです。
従って、ウサマ氏は実際にはラディン氏の子ではなく、ムハンマド氏の子だったわけです。
もっとも主イエス・キリストも、「ダビデの子」と呼ばれながらも、父親はダビデではありませんでした。
参考までに、イエスが「ダビデの子」と呼ばれている福音書の箇所を、書き出してみます。
(1)マタイによる福音書
1章1節、9章27節、12章23節、15章22節、20章30節~31節、21章9節、21章15節
(2)マルコによる福音書
10章47節~48節
(3)ルカによる福音書
18章39節~40節
また、イエスの養父ヨセフも、マタイ福音書1章20節では「ダビデの子」と呼ばれています。
結局のところ、中東の「~の子」という概念は、日本人が考えているよりも広い範囲をカバーしていた、ということですね。
そもそもマタイ福音書1章19節には、「マリアの夫ヨセフは正しい人で、マリアのことを表ざたにするのを望まず」(フランシスコ会聖書研究所訳)とあります。
つまりイエスの誕生に関する事情について、ヨセフは決して故郷の人々に「表ざたにする」(口外する)ことがなかったのです。
なによりもルカ福音書4章22節には、本田神父が引き合いに出したマルコ福音書6章3節と同様に故郷の人々のイエスに対する発言として、「ヨセフの子ではないか」(フランシスコ会聖書研究所訳、新共同訳)と記述されています。
結局、故郷ナザレの人々は、マルコ6章3節ではイエスを「マリアの子」と呼び、ルカ4章22節ではイエスを「ヨセフの子」と呼んでいるわけですから、故郷ナザレの人々は「イエスはヨセフとマリアの間の子である」と認識していたことになります。
ということは、『聖書を発見する』91ページにおける、「ですから、『マリアの子』とはふつうには言わない。それは、父親が分からないということを、言外に言っているようなものです。『罪の子』であるとしか、村人たちは見ていなかったということです。」という本田哲郎神父の邪推は、全くのナンセンスだということなのです。
本田哲郎訳『小さくされた人々のための福音』のルカ福音書4章22節では、「ヨセフのせがれではないか」と表現されています。
「子」と表現しようが「せがれ」と表現しようが、いずれにしても本田神父の邪推は、ルカ4章22節によって端的に否定されてしまうのです。
ヨハネ福音書1章45節には「ヨセフの子イエス」という表現があり、またヨハネ福音書6章42節には「これはヨセフの息子のイエスではないか。その父も母もわれわれは知っている」とあるのです。
最後に、いわゆる「イエス私生児説」に対して、手短に止めを刺しておきます。
イエス・キリストの時代、もしもあるヘブライ人が私生児と見なされていた場合、そのヘブライ人は、モーセの律法においてはヘブライ語でマンゼル(混血の人/私生児)と呼ばれるカテゴリーで扱われることになります。
そしてこのマンゼル(ממזר – mamzer)は、申命記(第二法の書)23章3節の規定(「マンゼルは主の会衆に加わることができない」)によって、エルサレムの神殿と各地の会堂への出入りを、厳しく禁じられていました。
ところが、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書の全てが、時としてかなり詳しく、イエスがエルサレムの神殿や各地の会堂で教えておられるのを記録しています。
よって、イエスはマンゼルではなかった(イエス私生児説は誤りである)ということを簡潔に証明できるのです。
念のために、神殿の中におられるイエスの姿に触れている福音書の箇所を、書き出してみます。
(1)マタイによる福音書
21章12節~17節、21章23節~24章1節、26章55節
(2)マルコによる福音書
11章15節~19節、11章27節~13章1節、14章49節
(3)ルカによる福音書
2章27節~39節、2章42節、2章46節~50節、19章45節~21章38節、22章53節
(4)ヨハネによる福音書
2章14節~22節、5章14節~47節、7章14節~39節、8章2節~59節、10章23節~39節、18章20節
また、会堂の中におられるイエスの姿に触れている福音書の箇所をも、書き出してみます。
(1)マタイによる福音書
4章23節、9章35節、12章9節~15節、13章54節~56節
(2)マルコによる福音書
1章21節~29節、1章39節~45節、3章1節~6節、6章2節~6節
(3)ルカによる福音書
4章15節、4章16節~29節、4章33節~38節、4章44節、6章6節~11節、13章10節~21節
(4)ヨハネによる福音書
6章25節~71節、18章20節
以上のような、主イエス・キリストが神殿や会堂において教えておられるという四福音書の多くの記述そのものが、いわゆる「イエス私生児説」を明確に否定しているのです。
(注)別エントリー「マリアがベツレヘムの宿屋で拒まれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/56
イエスがエルサレムの神殿や各地の会堂に出入り可能であったという事実は、実際のところ当時のユダヤ社会ではイエスは私生児扱いされていなかったことを意味しています。
(追記)
重ねて強調しますが、本当の意味で<差別を受けている者>は神殿に入ることを認められない、という聖書時代の厳しい現実が存在しました。
もしも「ナザレのイエス」が当時の聖書世界で実際に“私生児扱い”されていたとするなら、その姿が神殿や会堂に見られるということはありえない出来事でした。
ユダヤ人の歴史家フラヴィウス・ヨセフスによれば、一世紀のユダヤ世界においては、いわゆる「重い皮膚病」の人と淋病の人は、神殿どころか、エルサレム市内からさえも、完全に排除されていたということです。
ヨハネ福音書11章55節に「多くの人々は身を清めるために、過越の祭りの前に、地方からエルサレムへ上った。」とある通り、エルサレムという都それ自体が清めの場であり広義の神殿であるという考えに立つならば、「完全に排除」というのが厳然と存在する当時の「現実」でした。
福音書や使徒言行録の時代における「排除の論理」の徹底ぶりがうかがわれます。
申命記(第二法の書)23章3節には、「主の会衆」から排除されるべき人々に関して、次の律法の規定があります。
「混血の人は、主の会衆に加わってはならない。」
(フランシスコ会聖書研究所訳)
「混血の人は主の会衆に加わることはできない。」
(新共同訳)
「マンゼルは主の会衆に参加できず、その子孫の十代までも主の民には加われない。」
(バルバロ訳)
フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』の該当箇所の欄外の注には、この節の「混血の人」の説明として「不法な近親結婚、あるいは姦通による私生児を指すと思われる」とあります。
また「会衆」については、「幕屋で、後代には神殿で、礼拝のために集まる人々のこと。」であると、同じく欄外の注にあります。
バルバロ訳聖書(講談社)では、この「混血の人」の部分を「マンゼル」と表現しています。
「マンゼル」についてバルバロ訳の欄外の注には、「これは意味不明なことばの一つで、私生児、あるいはヘブライ人とペリシテ人の混血児、または偶像と何かかかわりのある者などの意味であろうと言われる。」とあります。
これらの欄外の注の説明は、ユダヤ教の多くの伝承や、アラマイ語のタルグム(本文に短い注釈を加えた翻訳)・ギリシア語七十人訳・ラテン語ヴルガタ訳・シリア語ペシッタ訳などの古代訳聖書を踏まえていますが、これらの伝承や翻訳の多くは「マンゼル」について「売春婦(娼婦)の子・姦婦の子・私生児」という意味で捉えています。
他の日本語訳聖書ではこの箇所がどう翻訳されているかをさらに調べると、日本聖書協会の新共同訳聖書では「混血の人」という日本語と表現されている一方、同協会の口語訳聖書では「私生児」と翻訳されています。
つまり、この「マンゼル(ממזר – mamzer)」というヘブライ語は、単に文字通りの「混血の人」という意味の他にも多様な意味を含んでいて、その厳密な定義付けについては細部では諸説があるものの、律法の規定という見地から「不法、非合法的、不適切」である性関係によって生まれた子は「マンゼル」というこの範疇に該当する、と見なす点では一致しているわけです。
ちなみに、申命記22章23節~24節では、「ある男と婚約している処女の娘」が「ほかの男」と「一緒に寝た場合」について、その前の22節の人妻の姦淫のケースと同じように取り扱われていることに注目すべきでしょう。つまり、旧約の律法では、「ある男と婚約している処女の娘」の姦淫は、既婚女性のそれと同様の扱いを受けるのです。
ということは、「イエスの母マリアはヨセフと婚約していた」とマタイによる福音書1章18節にある以上、もし万が一、「夫ヨセフ」(19節)以外の男性との間に「不法、非合法的、不適切」な関係を持ったならば、そこから生まれた子は「マンゼル」として取り扱われるということになります。
さて、主イエス・キリストの時代に、「混血の人、マンゼル(mamzer)」と見なされること──「主の会衆に加わってはならない」という範疇で扱われること──とは、具体的には一体どういう扱いを意味したのでしょうか。
それは、エルサレムの神殿(及び各地の会堂)への立ち入りを禁じられる、という扱いです。
マンゼルは一般的なイスラエル人(ユダヤ人、ユダヤ教徒)の資格を完全には満たしていないと、イスラエル人の社会の中でも一段低く見られていたからです。
申命記23章3節は、マンゼルについて、その子孫は十代目になっても主の会衆に加わってはならない、としています。これは、次の4節でアンモン人やモアブ人について言われていることと同じでした。ちなみに8節~9節では、エドム人やエジプト人について、三代目から主の会衆に加わることができる、としています。
「十代目になっても」という部分は、「永久に」(ネヘミヤ記13章1節)という意味で受け止められました。
ということは、この「マンゼル」は、非イスラエル人・非ユダヤ教徒であるアンモン人やモアブ人と同列で、エドム人やエジプト人よりもある意味では厳しく扱われていたわけです。
以上はイスラエル人の社会の中の、「マンゼル」の位置付けがうかがえる旧約聖書の箇所です。
本田哲郎神父の著書『釜ヶ崎と福音』及び『聖書を発見する』によれば、イエスは「罪人の子」「罪の結果生まれた子」「穢れた者」ということですから、もし本田哲郎説に従うなら当然のことながら、イエスは「マンゼル」ということになります。
既婚女性もしくは「ある男と婚約している」女性から生まれた「父親のわからない子ども」は、「マンゼル」に該当します。
繰り返し強調しますが、『聖書を発見する』85ページには「マリアがじつはレイプの被害者だったのではないか、あるいは貧しさゆえに身を売るような仕方で家計を支えるしかなかった女性だったのではないか、という推測」という記述がありますが、母親になった女性が既に婚約している女性である場合、「レイプによって生まれた子」「売春によって生まれた子」「姦淫によって生まれた子」などの私生児は、福音書の時代のイスラエル人の社会では「マンゼル」という範疇で扱われることになります。
そして、いったん私生児としての「マンゼル」の烙印が押されてしまったら、その「汚れ」はどのような手段によっても清めることはできないとされていました(その場合の「清め」に関する律法の規定は、旧約聖書のどこにも存在しません)。
申命記(第二法の書)23章3節に登場する「マンゼル(ממזר – mamzer)」というヘブライ語は、「不適切な(男女の)組み合わせによる産物」を意味するものであると推測されますが、それというのも、申命記のその前章(22章)には様々の「不適切な組み合わせ」に関する律法の規定があり、その行為を避けるよう厳にいましめられているからです。
女は男の衣装を着(つ)けてはならない。また男は女の服を着てはならない。このようなことをする者はみな、あなたの神、主に忌み嫌われるからである。
(申命記22章5節:フランシスコ会聖書研究所訳)
ぶどう畑にそれと別の種を蒔(ま)いてはならない。そうすれば、あなたが蒔いた種の収穫も、ぶどう畑の実りも、使うことのできない聖なるものとなるであろう。あなたは、牛とろばを対(つい)にして畑を耕してはならない。あなたは、羊毛と亜麻糸を織り合わせた服を着てはならない。
(申命記22章9節〜11節:フランシスコ会聖書研究所訳)
フランシスコ会聖書研究所訳の欄外の注には、9節の「使うことのできない聖なるものとなるであろう。」に関して、「この掟の目的は、恐らく種の保存や将来の食糧の確保のためであろう。」と書かれています。
この「不適切な組み合わせ」について戒める掟の箇所は、レビ記の中にもあります。
お前たちはわたしの掟を守らなければならない。お前の家畜を異なった種類の家畜と交わらせてはならない。お前の畑に二種類の種を蒔いてはならない。二種類の糸で織られた布の衣服を身につけてはならない。
(レビ記19章19節:フランシスコ会聖書研究所訳)
そして申命記22章22節から23章1節には、引用するまでもなく、より詳細な「不適切な男女の組み合わせ」に関する記述があるのです。
もしも仮にイエスやマリアの境遇が本田哲郎神父の主張通りであったとするならば、イエスは申命記23章3節の「マンゼル」すなわち、「不適切な男女の組み合わせから生まれた子」に該当してしまい、エルサレムの神殿(そして各地の会堂)に入ることができない存在になってしまうのですが、しかし四福音書はイエスの姿がエルサレムの神殿(そして各地の会堂)の中にあるのを随所で記述しており、従って本田哲郎神父の主張(及びイエス私生児説全般)は誤りであると証明できるわけです。
(注)別エントリー「『聖母マリアの終生童貞』の聖書的根拠」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2754