試論:「厳密な意味の公的啓示」を140文字以内で

主はマタイ福音書の最後の節で、十一人の弟子たちに「あなたがたに命じておいたことをいずれのものも全て守るように教えなさい」と仰せになり、この十一人が伝える御言葉そしてこの十一人によって問題ないと確認された教えこそ、御自分に従おうとする人々にとっての守るべき教えである旨を宣言された。

(注)別エントリー「試論:『すべて守る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5609

【追記】

二ペトロ3章15節以下では、パウロの著した手紙について言及しているが、16節でペトロは、自分がパウロの手紙の全てに目を通して内容に同意し、「聖書」を構成する一部として、それらを認めている旨を述べている。ガラテヤ2章の自身を批判している箇所も含めてペトロは手紙の内容を承認している。

二テモテ4章は「健全な教え」(3節)である主イエス・キリストの「御言葉」(2節)すなわち十一人の弟子を介して伝えられる公的啓示(マタイ28章20節)に留まるよう説く。人々は自分に都合の良い(「あなたは今のままでも善い」の類の)作り話を好き勝手に選んで耳を傾けようとするからである。

(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5846

(注)別エントリー「試論:『主イエスを見失うこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5954