ヨハネ7章18節「自分自身の思いによって話している者は自分自身の栄光を求めている。しかし自分をお遣わしになった方の栄光を求めている者は、真理に忠実な人であって、その人のうちには不義が存在しない」16節「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」。
【追記】
「人を惑わす霊」は一ヨハネ4章6節に登場し、3節の「反キリストの霊」「イエスのことを公に言い表さない霊」と同じだが、4節の「偽預言者たち」を指している。「わたしたちから去って行った」「世のことを話す」「世は彼らに耳を傾ける」「キリストの教えにとどまろうとしない」などの特徴を持つ。
(注)別エントリー「試論;偽預言者の識別を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6118
旧約の律法では王や大祭司も預言者に従う定めがあったがダニエル9章24節は「預言を封印するメシア」を預言し、ルカ21章22節の主の御言葉と紀元七〇年のエルサレム滅亡で、その預言は成就した。その後も当然「私的啓示」は続くが、決してそれらを旧約時代の「預言」と同じ扱いにしてはならない。
ダニエル9章24節はメシアについて預言の時代を封印する存在だと預言し、主はルカ21章22節で、(紀元七〇年の)エルサレム滅亡で旧約聖書の全預言が成就し預言の時代が終わると仰せになった。故に紀元七〇年以降の国際情勢と旧約聖書の預言は無関係で、関係ありとする強弁は主の御言葉に反する。
(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7462