幼子イエスにとってマリアはなんといっても産みの母親であり、またヨセフは実父ではないにせよ育ての父親であり家長だった。マリアにとってイエスは神でありヨセフは夫であり家長であった。ヨセフにとってイエスは神でありマリアはその母だった。「互いに相手を尊重しなさい」(ローマ12章10節)。
(注)別エントリー「試論:ルツ記とイエスの兄弟たちを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8585
【追記】
詩編15編3節は、神なる主と同じ住まいで暮らす人の条件として、周囲に対して中傷をせず、害を及ぼさず、小馬鹿にした態度を取らないことを挙げ、また2節では完全(=無垢)で、義を行うことを挙げる。主イエスの同居家族として、ヨセフが幼子や幼子の母を困らせる行動に出た可能性は皆無と言える。
人類がいかに文明の進歩を誇り、幼子や女性の権利の法的整備を誇ったとしても、実際には幼子や女性を対象とした虐待事件は後を絶たない。神は、「義人」(マタイ1章19節、25章37節)ヨセフの姿を通して、「神の義」(6章33節)とは幼子や女性を尊重し自分を後回しにすることだと教えられた。
(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750
(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246