試論:マタイ6章2節「ラッパ」を140文字以内で

黙示録4章1節は天の声をラッパの音響にたとえ、エゼキエル33章3節は預言者が民に警告を発する声を角笛にたとえる。古代ギリシア語訳で「角笛」を表す語とマタイ6章2節ギリシア語本文の「ラッパ」を表す語とは同じで、自分の声が天や預言者のそれであるかの如き仰々しい物言いを主は戒められた。

【追記】

古代のギリシア語旧約聖書は「角笛」(新共同訳)と訳されるヘブライ語に対して、新約聖書本文中では「ラッパ」(新共同訳)と訳されるギリシア語を当てている。ヘブライ12章19節で言及される「ラッパ」はシナイ山の出来事と関連し、出エジプト19章や20章で言及される「角笛」に対応している。

マタイ6章で主は、祈る際の「これ見よがし」的な態度を避けるように人々を戒められ、「隠れたことを見ておられる天の父が報いてくださる」と仰せになった。サムエル上1章13節「ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった」その結果19節「主は彼女を御心に留められた」。

(注)別エントリー「神に対する確信を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5613