サムエル下5章8節の故事に従い、エルサレム神殿は目や足の不自由な人々が入ることを制限していた。しかし主イエスは「人間の言い伝え」(マルコ7章)に関係なく、神殿で目や足の不自由な人々に癒しの奇跡を行われた(マタイ21章14節)。これらの人々はルカ14章21節でも同様に招かれている。
(注)別エントリー「聖書における『いやし』をどう解釈するか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2420
【追記】
マタイ21章14節には主が神殿の境内で目や足の不自由な人々をいやされたとあるが、サムエル下5章8節の故事により目や足の不自由な人々は神殿に入ることを禁じられていた。神殿の人々は目や足の不自由な人々に警告を発したはずだが、主による癒しが瞬時だったためか、神殿側もなすすべがなかった。
ダビデの故事(サムエル下5章8節)によりエルサレム神殿では目や足の不自由な人々の立ち入りが制限されていた。それに対して主は、あえて神殿に目や足の不自由な人々を招き入れて奇跡的な治癒を行われ(マタイ21章14節以下)それをもって「祈りの家」(同13節)のあるべき姿をお示しになった。