マルコ15章19節で主イエスの頭を殴打した葦は、通常「棒」と訳される。しかし、イザヤ36章6節(=列王記下18章21節)にも葦が登場するが、こちらは通常、「杖」と訳される。古代より洋の東西を問わず刑罰や拷問には杖が用いられ、御受難の際の葦も「杖」をイメージする方が妥当と思われる。
(注)別エントリー「試論:御受難と主の僕(しもべ)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9556
マルコ15章19節で主イエスの頭を殴打した葦は、通常「棒」と訳される。しかし、イザヤ36章6節(=列王記下18章21節)にも葦が登場するが、こちらは通常、「杖」と訳される。古代より洋の東西を問わず刑罰や拷問には杖が用いられ、御受難の際の葦も「杖」をイメージする方が妥当と思われる。
(注)別エントリー「試論:御受難と主の僕(しもべ)を140文字以内で」も参照のこと。
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