試論:創世記1章と「空中」を140文字以内で

ヘブライ語旧約聖書本文には「空中」という表現が存在しない。現代人ならば「空中」と表現する領域に言及する際、ヘブライ語聖書は「地と天の間」(歴代誌上21章16節、エゼキエル8章3節、ゼカリヤ5章9節)等と表現する。ヘブライ人は創世記1章6節以下の記述に基づく世界観に立つためである。

(注)別エントリー「試論:有人気球と『空中』の拡大を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「ヘブライ語聖書は『空中』とは表現しない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4223

【追記】

ヘブライ語聖書に「空中」という表現は存在せず、古代のヘブライの世界観には「空中」の概念がない。故に一テサロニケ4章17節を根拠に「〔空中〕携挙」の概念を受容するならばヘブライの世界観には立っておらず、逆にヘブライの世界観に立つならば「〔空中〕携挙」の概念を受容することはできない。

(注)別エントリー「『携挙』:ギリシア語聖書本文で徹底検証【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7753

1783年の有人気球飛行実験以前、人類にとって高度数百メートルの上空は「大空」であった。しかし有人気球で人類がそこに到達すると気球に乗っている人間にとって、そこは大空というよりむしろ「空中」となった。こうして18世紀後半以降、科学技術の発達とともに「空中」の領域は著しく拡大した。

一テサロニケ4章17節やエフェソ2章2節でパウロは、「空中」と一般的に訳されるギリシア語「アエール」という表現を用いているが、この古代の言葉は「地上界」を象徴する元素を意味し、「アエール」の英訳語「エアー」が現代人のイメージする「空中」を指すようになるのは18世紀後半以降である。

一テサロニケ4章17節の原文で使われた古代のギリシア語「アエール」には「大気」の意味合いはあるが、現代人がイメージする「空中」のニュアンスはなく、現代人なら「空中」と呼ぶ領域に古代のヘブライ人が言及する際は「地と天の間」または「大空(ギリシア語訳でステレオーマ)」などと表現した。

本来「空中」と「大空」は別物で、例えば父親と幼児が向かい合って立ち幼児がその場でジャンプした時、幼児は「空中」にいても地上に立つ父親の身長には届かない。熱気球の有人飛行成功まで「空中」は、地上から両足が離れたとしても高度はさほどない状態を指し、「大空」と混同されることはなかった。

古代のヘブライ人(二コリント11章22節)の世界観には「空中」の概念がなく、現代人なら「空中」と呼ぶ領域を「地と天の間/天と地の間」また「〔天の〕大空/天空」(ギリシア語訳でステレオーマ)と表現したが、これらは一テサロニケ4章17節のギリシア語表現「アエール」とは全く一致しない。

17世紀までに成立した英訳聖書の一テサロニケ4章17節にある、

”in the air”

という表現が、現代人のイメージする「空中」の意味で用いられ始めるのは、18世紀後半の有人気球飛行実験成功以降のことで、この時系列を理解するなら19世紀以降に始まる「携挙」の概念には惑わされない。

1783年12月フランスの科学者シャルルは自作の水素ガス気球で高度約三千メートルまで到達後、自身の体験を聖書中の神秘体験にたとえる表現を用い、自分はそれを物理学的に擬似体験したのだと説明した。以後、逆に有人気球による「昇天体験」から聖書中の記述を考察し理解を試みる風潮が生まれた。

(注)別エントリー「試論:『有人気球とキリスト教』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14240