試論:「創世記1章の朗読」を140文字以内で

【問】「復活の聖なる徹夜祭」では創世記1章が朗読されますが、なぜですか?【答】キリストの御復活すなわち、「復活の体(天上の体、霊の体)」の創造とは、イザヤ65章17節以下に啓示されている、創世記1章の天地創造の継続を意味し、キリスト御自身の御復活によって預言が成就されたからです。

(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
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【追記】

主イエスは福音書で自身の御受難と御復活を随所で暗示されたが、御受難と御復活の間に御自分がどんな働きをなさるかについても、ヨハネ14章2節から3節で予告された。それはイザヤ65章17節以下の「新しい天・地・エルサレムの創造」預言の成就であり、御自身の復活の体の創造で完成の時を見た。

主イエスは、ルカ9章の「主の変容」で三人の使徒に、「天上の体」(一コリント15章40節)すなわち死者の復活後の人間の姿(同章35節以下)をお示しになったが、当時三人の使徒は全く理解できなかった。「人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は愛する者たちに準備された」(同2章9節)。

(注)別エントリー「試論:ルカ9章『主の変容』を140文字以内で」も参照のこと。
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イザヤ65章17節以下は主が新しい「天、地、エルサレム」を、新しい「神の民」のために喜びをもって創造されると預言した。ヨハネ14章2節以下「わたしの御父の家には住む場所が豊富にある」「わたしは行って場所を用意し、戻って来てあなたたちを迎える」ガラテヤ4章26節「天のエルサレム」。

(注)別エントリー「試論:『もろもろの天を通過』?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:預言解釈の基本を140文字以内で」も参照のこと。
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二世紀初めにアンティオキアの聖イグナティウスが記したように初代の信者は、キリストの御復活すなわち「天上の体」(一コリント15章40節)の創造の記念に、週七日の中で祝うべき特別の日を土曜日(ユダヤ教の安息日)から、御復活があった「週の最初の日(安息日の翌日)」日曜日へと置き換えた。

(注)別エントリー「試論:『土曜と日曜』を140文字以内で」も参照のこと。
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「主の変容」の後、主イエスは「人の子が死者の中から復活するまでは今見たことを誰にも話してはならない」と命じられた。使徒たちは「天上の体」(一コリント15章40節)を目撃したのだが、まず主の御復活前後の実体験を経た上で復活の意義を理解しなければ、「天上の体」の理解もないからである。

(注)別エントリー「試論:『人の子』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスの御降誕は「肉の体」つまり人間としての誕生だったが、この世に来られた究極の目的が「贖(あがな)い」である以上、「上げられ(十字架上で顕示され)た」後の死と御復活によって悪魔の罪と死の支配を終わらせ人類に永遠の命と「霊の体」を準備して目的を達成したことの方がより重要である。

(注)別エントリー「試論:永遠の命(=天国の福楽)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:真理と贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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