試論:「御受難と脇腹」を140文字以内で

御復活の朝、主を目の前にしてマグダラのマリアは、まず十人の使徒たちやトマスのように、手の釘の痕や脇腹の槍の痕を確認しようとしたはずである。主の「わたしに触れてはならない」は、「手や脇腹を見なくとも、あなたは少しの疑いの余地もなくわたしを認識できているでしょう?」の裏返しでもある。

(注)別エントリー「試論:『わたしに触れるな』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16000

【追記】

民数記20章11節「モーセが杖で岩を二度撃つと、水が迸り出たので皆で飲んだ」ヨハネ19章34節「兵士が槍でイエスの脇腹を刺すと血と水が迸り出た」一コリント10章4節「モーセ一行は皆、共におられた神に由来する超自然的な岩から、神の水を飲みましたが、この岩こそキリストだったのです」。

(注)別エントリー「試論:『わたしが与える水』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10708