主イエスは「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしの他にはしるしは与えられない」と仰せになった。「ヨナのしるし」とは御自身の復活のことであり、その前にも人々はラザロの復活という「しるし」を目にすることになるが結果かえって有力者たちはイエスの殺害を決意した。
【追記】
民数記4章は「三十歳以上五十歳以下」と繰り返して、古代のイスラエルではこの年代を働き盛りと考えていたと示唆し、ヨハネ11章ではマルタ(21節)とマリア(32節)またユダヤ人たち(37節)まで口々にラザロの死を悔やみ、天寿を全うしたと言える年齢に彼が達していなかったことを暗示する。
(注)別エントリー「試論:『あなたがたのため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9470
ダニエル9章26節はメシアの死の後に次の指導者となる国民がエルサレムを滅ぼすと預言する。大昔モーセは鷲にたとえられる国民がヘブライの民を滅ぼすと預言した(申命記28章49節)。イエスには死んでもらうと決めた人々は「その国民とはローマ人」だと認識していたとヨハネ11章48節が記す。
(注)別エントリー「ダニエル書9章の『七十週』預言」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/22
(注)別エントリー「試論;『実現の日』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9074