試論:「命の言葉」を140文字以内で

主イエスはヨハネ14章6節で「わたしは命である」と仰せになった。古代のヘブライ人にとって「命」はあらゆる幸福の総称(申命記30章参照)だが。使徒言行録5章20節や一ヨハネ1章1節は主イエスの御言葉つまり福音を「命の言葉」と呼び、フィリピ2章16節も命の言葉を指針とするよう勧める。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332

(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7250

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844

(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

申命記30章15節には「わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」とある。この章で「命」は、「祝福」(1節)「幸い」(5節)「恵み」「実り」「繁栄」「喜び」(9節)等の総称で、20節は「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、付き従いなさい。それこそあなたの命である」と説く。

(注)別エントリー「試論:『永遠の命』の『命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16171