イザヤ5章は、古代のイスラエルを神のぶどう園にたとえた。ルカ22章70節「お前は、神の子なのか」同20章13節以下「ぶどう園の主人は『わたしの愛する息子を派遣しよう』と言った。農夫たちは息子を見て『跡取り息子を殺し、財産は我々が継承しよう』と合意し、息子を追放して亡き者にした」。
(注)別エントリー「試論:詩編2編のメシアと鉄の杖を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
詩編2編7節以下「主はわたしに対して仰せになった。『あなたはわたしの子である。今日わたしはあなたを生んだ。あなたはわたしに対して求めなさい。わたしは国々をあなたの相続財産とし、地の果てまでも、あなたの領土とする。あなたは国々を鉄の杖で打ち、陶工が器を砕くように砕くことだろう』」。
黙示録12章の女は5節で、諸国民を鉄の杖で治める男の子を産んだ。かつてモーセは神の杖を槌として用い岩を打ち砕いた。エレミヤ23章29節は御言葉を、岩を打ち砕く鉄槌に喩える。故に黙示録の鉄の杖も御言葉の象徴的表現で、男の子は「神の御言葉」主イエス・キリスト、女はその母マリアを指す。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:「わたしの主のお母さま」を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録は古代のヘブライの世界観に従い人間を「土の器」(2章27節)と表現し、さらにそれを踏まえ「諸国の民の上に立つ権威」(同節)を「鉄の杖」(同節、12章5節)に喩える。12章で「鉄の杖」は神の御独り子たる主イエスの王権を象徴し、最後までイエスに忠実だった人々は主の王権にも与る。
(注)別エントリー「試論:『女』とサタンの対立を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『女』と『残りの者たち』を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録20章やローマ5章は「悪に悪を返さない」ことを徹底して罪や悪と決別した人々を「バシレウオ(〔キリストとともに〕王となる)」という動詞で表すが、これはあくまで《義化の完成》を象徴する表現であり政治体制的な意味を含まず、彼らは「第二の死」を免れ「永遠の命」を得ると記されている。
(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『第二の死』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
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