マタイ7章12節「あなたたちが他の人からしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたから他の人にしなさい。これこそが律法であり、預言者の教えである」ヨハネ13章35節「あなたたちが互いを尊重し敬意を払い合うならば、その姿を見て皆はあなたたちがわたしの弟子であることを認めるだろう」。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665
(注)別エントリー「試論:『行った意味が分かるか』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15848
【追記】
主イエスは「自分が隣人からしてもらいたいことを自分から隣人にしなさい」を御自分の《律法》すなわち御教えの根幹とされ、弟子たちの足を洗われ隣人への敬意と尊重の重要性を教えられた。しかし御自身は次の晩が来る前に、尊重や敬意とは無縁の暴力や虐待や侮辱の裡にぼろ布のようにされて殺された。
弟子たちの足を洗うという行為を通じて、主イエスは隣人に敬意を払って尊重することこそ御自分の御教えの根幹であると教えられた。自分自身が他人から尊重され敬意を払われた経験がなければ敬意と尊重は理解できない。「互いを尊重するなら、それを見て皆はあなたたちがわたしの弟子であると認める」。
ヨハネ13章14節「主であり、師でもあるわたしが、あなたたちの足を洗ったのだから、あなたたちも、互いの足を洗い合わなければならない」マタイ23章11節「あなたたちの中で最も偉い者は、仕える者になりなさい」一ペトロ5章5節「神は高慢な者を敵とし、へりくだる者に恵みをお与えになる」。