ヨハネ7章28節「わたしを遣わされた方は『真理である方(=御父)』だが、あなたたちはその方を知らない」。知恵の書2章16節以下「彼が神は自分の父だと誇称するのなら、その『言葉』(ヨハネ1章1節)が真理に基づくか確かめてやろう」ルカ23章35節「お前がメシアなら自分を救ってみろ」。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851
(注)別エントリー「試論:『御父と御子』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7544
(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246
【追記】
マタイ4章で荒れ野におられる主の前に現れた悪魔は、「神の子なら、石がパンになるように命じたらどうだ」「神の子なら、飛び降りたらどうだ」「わたしを拝むなら、すべてを与えよう」などと主を誘惑したが、御受難の際に主を侮辱した多くの人々も、例外なく荒れ野の悪魔と同じような口振りであった。
(注)別エントリー「隣人愛の反対は理由なき悪意そして憎しみ」も参照のこと。
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(注)別エントリー「悪に巻き込まれないためにどうすべきか」も参照のこと。
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(注)別エントリー「レビ記19章17節:理由のない悪意」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4826