人妻が「間男」と寝ているところを見つけられた場合、イスラエルの中から悪を取り除くため男女とも死ななければならない定めだった(レビ20章10節、申命22章22節)。「間男」が放置されて女性だけ裁かれる状況は明らかに不自然で、主イエスは各人の良心に問い掛けられて正しい裁きを行われた。
【追記】
「姦通」というからには、不貞を行った女性だけでなく相手となった「間男」の男性がいなければならない。この告発自体が不自然と主イエスは見抜かれたが、昔、一人の子供に対し母親は自分と主張した二人の女性を裁いたソロモンと異なり、主は剣など使用せずただ各人の良心に問い掛けて裁きを行われた。
ヨハネ8章の「姦通の女」の場面の不自然な点は、不貞を行ったと告発された女性だけが登場し、不貞の相手となった「間男」の男性が登場しない点にある。モーセの律法は男女二人とも死ぬべきだと要求する。6節の通り、この告発自体がイエスを陥れる言質を取るための罠だったというのが話の本質である。
主イエスに関してヨハネ福音書は「真理」を事ある毎に強調しイエスに偽りはなかったと説く。裏を返せばイエスの敵たちがイエスに難癖を付けるためなら偽りの告発を平然と行って恥じなかったことをも記している。「ガリラヤからは預言者は出ない」という難癖もヨナという先例がいる以上は虚偽であった。
(注)別エントリー「試論:『真理とは何か』への答えを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7570
(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書のアレテイアを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15430
(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246
ヨハネ7章52節に「ガリラヤからは預言者は出ない」という敵たちの難癖がある。彼らの発言は誤りで、預言者ヨナの出身地は列王下14章25節にガト・へフェルと記される。ヨシュア19章13節ではガト・へフェルはゼブルン族の領土で、そこはイザヤ8章23節の通り福音書の時代のガリラヤである。
(注)別エントリー「試論:『ガリラヤからの預言者』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15449
(注)別エントリー「主イエス・キリストがインマヌエルである理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1338
この「姦通の女」のエピソードは古代より、最後の主の仰せから姦通の罪に対して主は寛大だったと拡大解釈される懸念があるため、その種の誤解を恐らく避けようと、このエピソードは写本から割愛される傾向があった。しかしこのエピソードの本質は罠を含んだ告発に対して主が適切に処理された点にある。