主の逮捕時に使徒たちが主を見捨てて逃げたことはエルサレムやユダヤの人々には知られていた。使徒以外の弟子たちの中には「ペトロ筆頭に使徒たちは一体どの面(つら)下げて我々の前に出て来れるのか」と快く思っていなかった者もいたはずだが、御復活の主御自身がペトロと使徒たちをお選びになった。
【追記】
ヨハネ21章の「大漁の奇跡」はルカ5章で漁師たちが弟子となった場面の再現だった。シモン・ペトロとゼベダイの子たちは自分たちが主に呼ばれた日をいやでも思い出したはずである。土壇場で自分を見捨てて逃げた者たちを再び選ぶことは、「人間の論理」では絶対にあり得ないが、神はそれを行われた。