マタイ7章13節〜14節「滅びに通じる門と道は広く入る者も多い。命に通じる門と道は狭く見出す者も少ないが、そこから入りなさい。ヨハネ10章9節「わたしは門。わたしを通って入る者は救われる」同14章6節「わたしは道、命」詩編118編19編〜20編「主に従う者は神の義の門から入る」。
(注)別エントリー「試論:『門・道・真理・命』誰?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の義』『門』『礼服』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の義とディカイオス』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
ルカ13章23節は主イエスに救われる者は少ないかを尋ねた人がいたと記す。主は直接の回答をされなかったが、のちに最後の晩餐の夜、ヨハネ14章2節で「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と仰せになった。それが答えである。合格者の定員は存在しない。従って、問題は合否の基準と言える。
(注)別エントリー「試論:救われる者は少ないか??を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『誰の死も喜ばれない神』を140文字以内で」も参照のこと。
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