試論:カインとアベルを140文字以内で

【問】神はえこひいきされましたか?【答】兄は適当な気持ちで自分の産物の中からありきたりのものを神に献げましたが、弟は真心を込めて選りすぐりのものを献げました。詩編18編の通り、神は無垢な者には無垢に向き合われ心の曲がった者には背を向けられますが、兄は弟だけではなく神も恨みました。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

神からアベルの不在について質問を受けた際、最初カインは神に対し白(しら)を切った。カインはそれだけでなく「わたしは弟の番人でしょうか」と憎まれ口を続け、神に対する高慢や敵意すら隠さなかった。もし神を殺せるならそうしていたのではないかと思える毒々しさがカインの言葉には込もっている。

旧約聖書第二正典の知恵の書の10章では、人類の始祖アダムが一度は過ちを犯したが、そこから立ち直って救われ、嫉妬のためにカインは神から遠ざかり、弟を殺した後も不信仰のまま死に滅び去り、カインの不信仰が人類に蔓延した結果として洪水に至った世界から神に導かれノアが箱舟で救われたと記す。

(注)別エントリー「試論:神の子と人の娘の結婚??を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「神の子らは人の娘たちを【再投稿】」も参照のこと。
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マタイ1章19節は主の養父ヨセフをディカイオス(正しい人、義人)というギリシア語で呼び、主は同23章35節で創世記4章のアベルを同じ語で呼ばれた。古代ギリシア語訳創世記6章9節とシラ44章17節とはノアを同じ語で表現し、アベル・ノア・ヨセフの三人が同じカテゴリーに属すると物語る。

(注)別エントリー「試論:聖ヨセフの模範を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ノアとヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
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