古代のイスラエルでは詩編45編8(7)節の通り「油」は特別な歓迎の象徴であった。ベタニアでマリアは、ユダに難癖をつけられても高価な香油を主イエスに注いだ。「十人の乙女」のたとえで、「愚かな乙女たち」が「油の用意をしていなかった」とは、主を歓迎する準備ができていない状態も象徴する。
(注)別エントリー「試論:『十人の乙女』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8406
【追記】
マルコは、ベタニアで主の頭に高価な香油を注ぐ女性を記す。ヨハネも、ベタニアでラザロの姉妹マリアが主の足に高価な香油を塗ったと記す。主は彼女の行動を埋葬の準備と呼んだ。マルコ16章冒頭で主の御遺体に油を塗りに行く婦人たちの中に彼女もいたはずで、マグダラのマリアである蓋然性が大きい。
(注)別エントリー「試論:マグダラのマリアを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10830