主イエスはヨハネ14章3節で「わたしは行ってあなたたちのために場所を用意したら」と仰せになった。この「行く」はルカ22章22節「人の子は定められた通り去って行く」と同様「死ぬ」の婉曲表現であり、ヨハネ12章24節「一粒の麦は、死ぬのならば、多くの実を結ぶ」とも同じ意味合いである。
(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15917
【追記】
ヨハネ14章2節以下「わたしの父の家には住む場所がたくさんある。行ってあなたたちの場所を用意したら、あなたたちの許へ戻って来て、あなたたちを迎える」黙示録21章2節「聖なる都、新しいエルサレムが、花婿のために着飾った花嫁のように用意を整えて、天から下って来るのを、わたしは見た」。
(注)別エントリー「試論:『天の国は近づいた』意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16775
主イエスは御受難と御復活の間に「新しい天・地・エルサレムの創造」を準備され誕生させたが、イザヤ66章8節は「誰がこのようなことを見聞きしたであろうか。一つの国が一日で生まれ一つの民が一日で生まれることがあり得るだろうか」と預言する。「天の国は近づいた」の「天の国」とはこれだった。