主イエスはヨハネ14章12節で「わたしを信じる者は、わたしの行う業を行い、もっと大きな業を行うようになる」と仰せになった。使徒言行録5章ではペトロによる癒しを期待する人々が「彼が通りかかる時、せめて彼の影だけでも病人のだれかにかかるようにした」と、使徒たちの業の目覚ましさを記す。
(注)別エントリー「試論:『預言や奇跡よりも』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
洗礼者は主からエリヤと呼ばれた(マタイ11章14節)ものの干ばつの際のしるし(列王上18章41節以下)は行わず(ヨハネ10章41節)、このしるしは主も行われなかった。古代に遡るある伝承は、エルサレムの監督ヤコブがエリヤのしるしを行ったとする。このしるしには圧倒的な説得力があった。
使徒言行録1章に十二使徒の二人のヤコブが登場するが、12章でヨハネの兄弟ヤコブが殉教した後、特別の注釈もなくヤコブという人がエルサレムで重責を担い続けることが叙述される。消去法で考えれば彼はアルファイの子の方で、エルサレム教会の指導者だった主の兄弟ヤコブと同一人物とも見なしうる。
(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ルツ記とイエスの兄弟たちを140文字以内で」も参照のこと。
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使徒言行録はパウロがエルサレムで逮捕後、一部のユダヤ人は彼に殺意を抱き続けたと記すが、ローマでパウロが監視付きながらも現地のユダヤ人に宣教していると聞き、敵たちの怒りの鉾先はエルサレム教会の監督ヤコブに向かった。彼が万単位のユダヤ人をキリスト者にしていた(21章20節)故である。
エルサレムの監督ヤコブは古代の伝承では、普段からエリヤと同じ身なりだったが、干ばつに際しエリヤのしるしを行い(列王記上18章、ヤコブ5章、黙示録11章)、逮捕後に神殿の高所から突き落とされ足を負傷したが絶命せず、ステファノと同じ遺言を口にし、立ち上がろうとして棍棒で撲り殺された。
(注)別エントリー「試論:聖書の『見る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11440