試論:「第三の天」を140文字以内で

古代のヘブライ人は当然、父である主(イザヤ63章)のお住まいを天と呼び、神殿の聖所(詩編78編69節)をも「天」に喩えた。そこを本物の天の「写し(模型)」(ヘブライ9章24節)と見なしたからである。二コリント12章2節では、イザヤ65章で預言された「新しい天」を、第三の天と呼ぶ。

(注)別エントリー「試論:『もろもろの天を通過』?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:二コリント12章『とげ』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスは福音書で自身の御受難と御復活を随所で暗示されたが、御受難と御復活の間に御自分がどんな働きをなさるかについても、ヨハネ14章2節から3節で予告された。それはイザヤ65章17節以下の「新しい天・地・エルサレムの創造」預言の成就であり、御自身の復活の体の創造で完成の時を見た。

(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
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黙示録21章16節以下では新しいエルサレムの巨大性が啓示される。これは当然、ヨハネ14章2節以下「わたしの父の家には住む場所がたくさんある。もしなかったなら、あなたたちのための場所を準備しに行くとは言わない。あなたたちの場所を準備したらあなたたちの許に戻って来る」を反映している。

(注)別エントリー「試論:『新しい天と新しい地』?を140文字以内で」も参照のこと。
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イザヤ65章17節以下は主が新しい「天、地、エルサレム」を、新しい「神の民」のために喜びをもって創造されると預言した。ヨハネ14章2節以下「わたしの御父の家には住む場所が豊富にある」「わたしは行って場所を用意し、戻って来てあなたたちを迎える」ガラテヤ4章26節「天のエルサレム」。

(注)別エントリー「試論:預言解釈の基本を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ14章2節〜3節「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたたちのために場所を用意して、あなたたちを迎える」二コリント5章1節「わたしたちは、神によって建物が備えられていることを知っています。人の手によるものではない、天に備えられている永遠の住みかです」。

一コリント15章でパウロは「地上の体」「天上の体」という表現を用いて、《人間が地上で生活していた際の、死によって朽ちていく肉体》と《その人の霊が神の許に帰還した後で、神によって天上で新しく与えられる、朽ちることのない体》について説明し、後者を「霊の体」(44節)等と表現している。

「主の変容」とは、一コリント15章でパウロが言及する

「天上の体」(40節)

を主イエスが実際に三人の使徒へお示しになった意義深い出来事で、パウロは「天上の体」を

「朽ちないもの」(42節)

「輝かしいもの」「力強いもの」(43節)

「霊の体」(44節)

「天に属する者」(47節)

等と呼ぶ。

(注)別エントリー「試論:『主の変容』『天上の体』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はヨハネ11章25節で御自身を復活と命だと称され、6章63節では命を与えるのは「〔神の〕霊」だと仰せになった。コヘレト12章7節は人間の死でその肉体は塵(土)に還るが、命を与えられたその霊は「与え主」である神の許へと還るとし、一コリント15章44節は「霊の体が復活する」と記す。

ヘブライ5章9節は「キリストが〔御受難を経験された後に〕完全な者になられた」と記す。神でもあり人間でもあるキリストは、神としては天地創造以前から既に当然だが完全な者である。人間としては御受難を経験された後「復活の体(=天上の体、霊の体)」すなわち人間としての完成形へと到達された。

(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:神であり人であるキリストを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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