ヨハネ5章24節では、イエスの言葉を聞いて御父である神を信じる者は永遠の命を得て裁かれることなく死から命へ移ると説明されているが、29節では悪を行う者は裁きを受けると説明され、悪を行いながらの信仰などは神がお認めにならないことがわかる。神は人間が悪から離れることを要請されている。
【追記】
ヤコブ2章17節「行いを伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」はマタイ7章26節の主イエス・キリストの御言葉「わたしの言葉を聞くだけで行わない者は、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている」とは内容的には同じであり、いわゆる「信仰義認」の適不適を考える上では良い基準となる。
(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5427