試論:「どこから来たのか」を140文字以内で

主イエスはヨハネ19章9節でローマ総督ピラトから「お前はどこから来たのか」と問われた。7節でユダヤ人たちが、自分たちの律法によれば神の子を自称したこの男は死刑に該当する、と告発したからだが、主は無言だった。18章37節「わたしは真理についてあかしするために生まれ、この世に来た」。

(注)別エントリー「試論:『どこからどこへ行くか』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスはヨハネ8章14節で「あなたたちはわたしがどこから来てどこへ行くのか知らない」と仰せになった。天の御父の独り子として人の世に来られ一度は御受難により世を去られるが新しい「天・地・エルサレム」の御創造(イザヤ65章17節以下、ヨハネ14章2節以下)と共に自らも御復活される。

イザヤ65章17節以下は主が新しい「天、地、エルサレム」を、新しい「神の民」のために喜びをもって創造されると預言した。ヨハネ14章2節以下「わたしの御父の家には住む場所が豊富にある」「わたしは行って場所を用意し、戻って来てあなたたちを迎える」ガラテヤ4章26節「天のエルサレム」。

(注)別エントリー「試論:『もろもろの天を通過』?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:預言解釈の基本を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5092

主イエスはピラトとの対話で、「真理(ギリシア語でアレテイア)」という表現を用いられたが、ヘブライ人にとって「真理」とは「真理(=まこと)の神」(エレミヤ10章10節参照)つまり自分たちの神である主を指す表現である。しかしローマ人であるピラトにはこのニュアンスは全く通用しなかった。

(注)別エントリー「真理(まこと)の神」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246