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試論:義のために迫害される人々を140文字以内で

マタイ1章19節はヨセフを「義人」と呼び、2章はヘロデの迫害を逃れるためにヨセフがイエスとマリアを連れてエジプトへ逃れたと記す。5章10節は「義のために迫害される人は幸い。天の国はその人のものである」と記し、25章の最後の審判では天の国(永遠の命)を確約された人を「義人」と呼ぶ。

(注)別エントリー「試論:聖ヨセフの模範を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7243

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008

【追記】

主はマタイ6章33節で「まず神の国と神の義を求めよ」と仰せになった。古代のヘブライ人は神の義(正義)を実行する人となることを「正義を衣としてまとう(=身に着ける)」と比喩で表現した(詩編132編9節、ヨブ29章14節)。従ってマタイ22章の「礼服」とは正義(神の義)の比喩である。

主はマタイ6章33節で「神の国と神の義を求めよ」と仰せになり、また同22章では神の国で神の御前に立つために不可欠な「神の義」を、「礼服」にたとえられた。この「礼服」すなわち「神の義」とは何であるかについて、パウロはコロサイ3章で、キリストの弟子が身に着けるべきものとして説明した。

ガラテヤ5章では「聖霊の結ぶ実」として神の御独り子の母の内面に関連する《愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制》を説く。他方、コロサイ3章では「礼服」(マタイ22章)という比喩を踏まえ、「義人」ヨセフの「義」に関連する《憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、愛》を説く。

(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750

(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246