試論:「主の弟子としての証明」を140文字以内で

主イエスはマタイ7章22節以下で、預言や悪霊を追い出すことや奇跡よりも、悪を行わないことこそが重要で御自分の弟子である証明だと教えられた。イスカリオテのユダは汚れた霊を追い出す権能と病気を癒す力を使徒として与えられたが(マタイ10章)、献金を盗んでいたためサタンが彼の中に入った。

(注)別エントリー「試論:『献金泥棒』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスはマタイ10章で十二人をお選びになり、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒す権能」を授けられた。マルコ3章14節は「十二人」選抜の目的を御自分の傍に置くためと記す。その一人は泥棒(ヨハネ12章6節)となり、銀貨三十枚で(マタイ26章15節)で自分の師を売り渡した。

(注)別エントリー「試論:『預言や奇跡よりも』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『無償で与えなさい』を140文字以内で」も参照のこと。
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パウロは一コリント13章で愛こそ諸徳の中で最上のものと説くが、ローマ13章10節では愛は隣人に悪を行わないと説く。これは主イエスがマタイ7章22節以下で仰せになった内容(たとえ預言や奇跡や悪霊を追い出すこと等を行おうとも、悪を行わないことを疎かにするなら無意味)と完全に合致する。

主イエスはマタイ7章22節以下で、神が人々に求めておられるのは預言でも奇跡でも悪霊を追い出すことでもなく、ただ悪を行わないことだと示唆された。ヨセフは1章19節で義人と呼ばれるが、25章の最後の審判では義人は隣人の困り事に親身に対応する無私の人そして永遠の命を確約された人を指す。

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはマタイ7章22節以下で、預言や奇跡や悪霊を追い出すことよりも、悪を行わないことが重要であり唯一それが御自分の弟子としての証明であると仰せになった。これを踏まえてパウロはローマ13章10節で「愛とは悪を行わないこと」と明確に定義し、一コリント13章では愛の重要性を説いた。

詩編12(11)編においてダビデは、隣人に嘘をついたり隣人を早口で欺いたり言行不一致状態だったりする人々ばかりの風潮を、「信仰のある人は消え去りました」(12編2節、新共同訳)と表す。ここで「信仰」と訳されるヘブライ語を、古代のギリシア語訳聖書はアレテイア(真理、まこと)と訳す。

(注)別エントリー「試論:『真理とは何か』への答えを140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ福音書は「信仰」を表現する際、他の福音書が用いるピスティスという語を用いず代わりにアレテイア(真理、まこと)という語を多用する。ヨハネにとって信仰とは、人の真心に対し真心で応じられる神なる主に向かって嘘偽りや裏表のない態度で接することに他ならず、これは当時の共通認識だった。

(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書のアレテイアを140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ14章6節で「真理」を自称されたが、プロテスタントの「改訳 新約聖書』(1917年)は「まこと」と平仮名を振り、旧約聖書で「まこと」と訳される語との関連を示唆する。嘘偽りや裏表がないこと、上っ面だけでなく内実を伴うこと、真心には真心で返されること等を意味している。

(注)別エントリー「試論:まこと(真、実、信、誠)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書の『信じる』を140文字以内で」も参照のこと。
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