試論:「口の利けない人の治癒」を140文字以内で

主イエスはマタイ9章33節で口の利けない人を完治させたがイザヤ35章6節の預言によれば、それは目の見えない人の治癒(5節)と共に、メシア到来の徴だった。この徴を認めたくない人は「悪霊のかしらの力で悪霊を追い出している」と難癖を付けたが、これを主は「ベルゼブル論争」にて否定された。

(注)別エントリー「試論:『人の子』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6888

【追記】

主はマタイ12章32節で、御自分のことを単に人間的な事柄で嘲る人の悪口(同11章19節「大食漢で大酒呑み、徴税人や罪人の仲間」)は許容範囲内だが、神の霊つまり聖霊によって悪霊を追い出した事実を「ベルゼブルによって悪霊を追い出した」と咎めることは絶対に許容されないと、仰せになった。

主イエスは「ベルゼブル論争」の際、マタイ12章28節では神の霊すなわち聖霊によって悪霊を追い出したと仰せになったが、ルカ11章20節では「神の指によって」と表現されている。「神の指」とは神の御力や御業を表す(出エジプト8章15節、同31章18節、申命記9章10節、詩編8編4節)。

(注)別エントリー「試論:『神の指』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15224

マタイ9章32節以下のいやしのエピソード以降、ファリサイ派の人々は「彼は悪霊のかしらの力で悪霊を追い出している」と主イエスを中傷し続けた。主はマタイ12章32節で、聖霊によって悪霊を追い出した事実を「ベルゼブルによって追い出した」と咎めることは絶対に許容されない、と仰せになった。