主イエスは「神の義に飢え渇く人は幸いである。その人は満たされる」と仰せになったがルカ10章では、自分を《義化》(29節)しようとして踏み込んだ質問をした律法学者に対し、憐れみの心(33節)と《神の義》と隣人愛(27節)と永遠の命(25節)は全て事実上重なっているとお教えになった。
(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
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(注)別エントリー「善きサマリア人:律法の専門家が質問した動機とは」も参照のこと。
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【追記】
主イエスはマタイ6章31節以下で日頃の衣食について過度に頭を悩ませることを戒め、少しでも神の国と神の義について思いを馳せるように勧められた。主は7章9節以下で同じ議論に戻られ、神の義とは「自分が他の人からしてもらいたいことなら全て、自分から他の人にする」ことであると、強調された。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はマタイ6章33節で「まず神の国と神の義を求めよ」と仰せになった。神の国に入るためには「神の義」を自分のものとする必要があり、その比喩として「門」(同7章、詩編118編19節参照)や「礼服」(マタイ22章、詩編132編9節参照)と表現され、旧約の民が熟知する詩編に、言及された。
(注)別エントリー「試論:『神の義』『門』『礼服』を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ6章34節「その日の苦労はその日だけで十分」は有名である。ただし「苦労」と日本語訳されるギリシア語には「悪」「災難」の意味合いがあり、全てを失った放蕩息子が回心し父親の許への帰郷を思い立ったのと同様に、主は第一に「神の国と神の義」(33節)への回帰(回心)をお勧めになった。
マタイ1章19節は、主の養父ヨセフをディカイオス(義人、正しい人)と呼ぶが、25章「最後の審判」の箇所では、ディカイオス(37節、46節)は「永遠の命にあずかる」(46節)人を意味している。つまり、「神の義」を身に着けることこそが、「永遠の命にあずかる」ことを約束するものである。
(注)別エントリー「試論:『神の義』と詩編を140文字以内で」も参照のこと。
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神の霊つまり聖霊が人間に賜るものをガラテヤ5章は愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制と説く。主はマタイ6章33節で「神の義」を求めよと仰せになり、同22章でそれを「礼服」にたとえられる。コロサイ3章では、着るべきものとは憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、愛と説く。
(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ6章33節で主は「まず神の国と神の義を求めよ」と仰せになり、同22章では、神の国で神の御前に立つために不可欠な「神の義」を「礼服」にたとえられた。他方ヤコブ1章20節は、「人の怒りは神の義を実現しない」と説く。怒りっぽい人が神の国に入って主の御前に立つことは至難の業である。
マタイ5章7節「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受ける」はヨハネ13章「わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい」同14章「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、御父とわたしはその人のところに行って一緒に住む」等と同じことである。
レビ19章18節「あなたは自分自身を愛するように、他の人を愛さなければならない」マタイ7章12節「あなたは、他の人からしてもらいたいと思うことならどんなことでも、あなたから他の人にしなさい」ヨハネ13章34節「わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい」。