主はヨハネ18章36節で「わたしの王国はこの世に属していない」と繰り返された。敵たちは、イエス一人を殺しさえすれば目的は達成されると考え、弟子たちなど眼中になかった。使徒の一人は銀貨三十枚で裏切り、残りの使徒も一人を除いて逃げたが、使徒言行録2章40節「ペトロは力強く証しした」。
(注)別エントリー「聖霊の働きか否かを識別する」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『聖霊とは無関係の徴候』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:キリストの『バシレイア』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ペトロの生涯を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『自分の十字架』とペトロを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
主イエスはマルコ9章37節で「わたしの名のために、このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と仰せになり、十二使徒に対し「わたしがあなたたちを選んだ理由は、個々の能力や人間性が優れているためでは決してないので、そこを勘違いをしないように」と強く注意された。
主から王に選ばれたサウルは、「特別に選ばれた人間は人一倍、主に忠実でなければならない」という初心を忘れ「主に選ばれた自分は特別扱いされているから、多少の過ちは大目に見てもらえるはず」と勘違いして主の信頼を失ったが、自分を律する心構えがないと誰しも同様の勘違いに陥り易いものである。
(注)別エントリー「試論:『主に聞き従うこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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二ペトロ3章15節以下では、パウロの著した手紙について言及しているが、16節でペトロは、自分がパウロの手紙の全てに目を通して内容に同意し、《聖書》を構成する一部として、それらを認めている旨を述べている。ガラテヤ2章の自身を批判している箇所も含めてペトロは手紙の内容を承認している。
主イエスはヨハネ18章36節で、「わたしのバシレイアは、この世には属していない」と仰せになった。原文のギリシア語バシレイアは、聖書では「王権」「〔神の〕王国」を意味し、「王国の一人一人」まで包含する。黙示録1章6節でヨハネは、自分たちは既にその一部を構成していると書き記している。
(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
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