試論:「種」って何?を140文字以内で

マタイ13章34節は「イエスはこれら全てをたとえを用いて語られた」と記す。主語自身はルカ8章11節で「種とは、神の御言葉」と仰せになった。ヨハネ1章は主イエスを「言(ことば)」つまり「御自ら人々に御教えをお話しになる神」と表現する。マタイ13章37節「良い種を蒔く者は、人の子」。

(注)別エントリー「試論:『人の子』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ヨハネ1章は主を「言(ことば)」すなわち「神の御言葉」と表現した。これは「〔神の〕小羊」と同様に主イエスの特徴を表す称号で「御自分でお話しになる神」を意味する。神は御姿を人々にお見せにならず天使や預言者を介してお話しになると考えられていたが、主は直接人々に御言葉をお教えになった。

(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章1節は主イエス・キリストを「言(ことば)」と呼び紹介する。これは「天使や預言者を介することなく、御自分で直接人々に御言葉をお話しになる神」を意味し、「イエス・キリストなんか本当は実在しなかった」と言い立てる人々に対しては、主が残された御言葉それ自体がその存在証明となる。

(注)別エントリー「試論:『主が求められるものは』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章14章は「言(ことば)は肉となって」と記し《人々と直にお話しになる、御子である神》主イエス・キリストが人間となられたことを記すが、10章30節では「わたしと父は一つ」と主は仰せになり、たとえ自分は人間(「人の子」)となっても同時に神は神のままであり続けることも示された。

(注)別エントリー「試論:『受肉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:神であり人であるキリストを140文字以内で」も参照のこと。
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エゼキエルやダニエルが「人の子よ」と呼びかけられる時「人の子」は「人間(人類の一員)」という一般的な意味である。「人となられた神」が自称される時だけ「人の子」は神の称号としての意味を持つ。マタイ12章では「人の子」は主の人間としての側面を指し、「聖霊《神の霊》」の比較対象である。

主イエスはルカ8章18節で「どう聞くべきかに注意しなさい」と仰せになり、マルコ4章33節では「人々の聞く力に応じて多くのたとえで御言葉を語られた」。これらの場合「聞く」は「聞き分ける(心で理解する)」の意味である。マタイ13章15節では「聞く」と「心で理解する」とを併記している。

(注)別エントリー「試論:『どう聞くべきかに注意』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはマタイ13章の「種を蒔く人」の喩えをお話しにになった際、「耳のある者は聞け」(9節)と命じられた。御子イエスは「言(ことば)」つまり御自分で御言葉をお話しになる神として来られた。従って主イエスに直接応対する場合には「御言葉に耳を傾ける」を選んだマリアの方が良しとされた。

(注)別エントリー「『マリアは良い方を選んだ』?」も参照のこと。
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ローマ10章17節以下「信仰は聞くことで、しかもキリストの御言葉を聞くことで始まる」「彼らはもちろん、聞いてはいた」マルコ4章23節以下「聞く耳のある者は聞け」「何を聞いているかに注意せよ。あなたたちは自分が他者を量る秤で神なる主から量り与えられ、それに加えてさらに与えられる」。

(注)別エントリー「試論:『話を聞くべき方は誰』?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『話を聞くべきでない者』を140文字以内で」も参照のこと。
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